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無水の金魚鉢

 ああ、今朝が夏との境目なんだな。見上げた空の高さでそう気が付いた。どうして高く見えるのか、取り留めもなく考えてみる。やはり、雲のせいだろうか。夏の、あの豪快に絵具をぶちまけたような入道雲に比べて、今頭上にある雲は繊細に筆を幾筋も走らせたようで、全体的に淡い。この筆づかいが、秋の訪れを感じさせるのだろう。

 きっとこの辺で、一番に季節の境目に気が付いたのは私だ。何しろ平日の朝からこうして公園のベンチから空を眺めているものなど他に見かけたことがない。申し訳程度に大学の教科書を詰めたリュックサックを背負い手提げを持って、駅を通り過ぎたところにある小さな公園に行く。そして両親が仕事に出かけた頃を狙って自宅へ帰る。あの鉢が空になってから、それが私の日常になっていた。

 少し前に、飼っていた金魚が死んだ。いつかの夏に、弟がどこかの屋台で一匹だけ掬えたのを喜んで連れ帰ったもので、特に変わった品種だったわけでも、姿形が美しかったわけでもない。名前もついていなかった。しかしせっかくだからと、母親が金魚鉢を買ってきて、リビングの一角に住まいを与えていた。

 無論金魚なので、愛想がいいわけではない。特に望まれてやってきたわけでもないので、家族も殊更に構ったりはしなかった。ただ義務的に誰かが餌をやり、きまぐれに眺めることがあるくらいのものだった。金魚の方でもそれで居心地がよかったらしく、嬉しい顔も不平な顔もせず、透明な鉢の中でぶくぶくやっていた。

 金魚の世話をするのに、大学生という身分は適任だった。時間の融通が、働く両親や受験生の弟よりもずっとつきやすい。特に夏休みなどは、鉢を回すには好都合だ。そうして回ってきた鉢はなぜか、夏休みが終わり、年を跨いでもずっと私のところにあるままだった。

 時々、両親は私をこの金魚に似ていると評することがあった。私はそれがあまり気に入らなかった。しかしこれを頭から否定するわけにもいかなかった。両親は類似点を一々言って聞かせたりはしなかったが、私がこの金魚に感じる相似点を、両親に感じられていると思うとたまらなかった。

 一般とは違って、私は予定の埋まらない大学生だった。通り一遍に入った学部に興味はなく、講義にはあまりついていけていない。同じ教室の時にだけ会話をする仲の人はあっても、一緒に学外の時間を過ごすような友人はいなかった。しかし時間だけは過ぎていき、状況を変えるような熱も持てず、年中春めいているキャンパスの生活の中でため息ばかりをのぼらせていた。ちょうど、鉢の中で泡をあげているばかりのあの金魚のように。

 だから金魚の世話するのは苦であり、しかし気晴らしでもあった。広いリビングの中で、透明なガラスに区切られた空間から出られずにいながら、そのことを少しも気に病んでいないようなその愚鈍なまでの純朴さが、毒にも薬にもなった。餌が撒かれた時にすら、水面に浮かぶそれを胡乱な目で見上げ、口元に落ちてきたものを仕方なさそうに食べるような、野生をすっかり失ってしまったようなその態度を、ある種の残酷さを含んだ気持ちで眺めていた。こいつ、生きていこうという気がないな。いつか父親が口角を持ち上げながら漏らした言葉を、いまだによく覚えている。

 その死の際の数日、私が外から帰ってくると時々腹を上にして浮かんでいることがあった。鉢に駆け寄り、網で掬おうとすると、身体を翻して素早くかわした。私は驚いた。これまでに見せたことのないその身のこなしと、飼い主に対する警戒に満ちた目の動きに、滾るばかりの生への執着を見た。その時ほどの鮮烈な赤を、見たことがなかった。

 ある日、金魚はとうとう動かなかった。網に容易く捕まったのを見て、全てを察した。一度網から出しても先と変わらぬ体勢で浮かぶのを見て放心していると、目がピクリとだけ震えた。開いたままの口から泡がこぼれ出て水面に溶けると、その身体が少し褪せたような気がした。まるで、泡とともに魂が抜けたようだった。

 悲しくはなかった。胸に湧いたのは、そういう感慨ではなかった。きっと悔しさとか、憎らしさとかだ。あいつは、ちっとも私に似てなどいなかったと分かったからだ。網膜に焼き付いた、あの燃えるような赤。自身の軌道で鉢に絵付けをするような、あの動き。

 手提げの袋から取り出した鉢を、秋空に透かしてみる。ただのオーソドックスな透明な鉢に、水色が満ちていく。片目を閉じながら、それに縦横無尽に閃くあの赤を重ねてみる。思っていた通り、とても綺麗な鉢が完成した。胸の高さに降ろした鉢を見ながら考える。貰ったきりの美術サークルのパンフレットが机のどこかにしまってあったはずだ。昔使っていた画材はまだ使えるだろうか。空想の鉢の中の美しく燃える赤が、古い夢に燃え移っていくのを感じていた。

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木村敦
本、映画、音楽など、数々の先達への授業料とし、芸の肥やしといたします。