「やせなきゃ」って思う気持ちは本物か?
「やせなきゃ」って思うとき。
その気持ちって、果たして本物なんだろうか。
気持ちが、たまねぎのように何層にも重なっていて、ほんとの気持ちが中心にあるとしたならば、いつも中心の部分を感じることができているだろうか。
周囲の環境によって「やせなきゃ」って焦ったりするその気持ちは、ほんの表面上だけのことであって、いうなれば「上っ面」だけの可能性もあるわけで。
その上っ面の、仮面のような気持ちをキャッチして、そのことに大切な人生をささげているとしたならば、なんとも悲しいかな。
ほんとの真ん中の心に繋がって、「上っ面」と「中心」とは別であることを「区別」することを意識していけたらいい。それが、いつのま間にか自然とできるようになれたら、どんなに軽やかでいられるんだろうか。
心のなかの霧が晴れ、さわやかな空気が吹き込んでくる。そこには心地のよい青空が広がっていて、視界いっぱいに広がる草原、そしてその上を自由にかけ回るわたしをイメージする。
なんて、きもちの良い場所なんだろう。
周囲の声で、心がざわつくとき、心にさざ波や荒波がたつとき、その表面の動きに注目するのではなく、自分の真ん中のあったかいところにある「光」をただ感じていよう。あたためていよう。
そして、いつでも、青空と草原を心の中に。