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【映画】タルコフスキーを観る

タルコフスキーの特集上映が、東京・ユーロスペースにて6月26日から行われるというニュースを、InterFMのピーター・バラカンの番組で知った。

タルコフスキーの上映は久しぶりとのコメントだったが、「ソビエト時代のタルコフスキー」という特集で、昨年から小さな映画館で特集上映されている。「ソビエト時代のタルコフスキー」は6作品、横浜シネマリンでは+1で「ノスタルジア」が加わる7作品だったが、今回は多少内容が異なり

「サクリファイス」
「ローラーとバイオリン」
「僕の村は戦場だった(デジタルリマスター版)」
「アンドレイ・ルブリョフ」
「惑星ソラリス(デジタルリマスター版)」
「鏡(1975年)」
「ストーカー(1979年)」
の7作品となっている。「サクリファイス」以外は、「ソビエト時代のタルコフスキー」と同じラインナップ。

私は3月に「ローラーとバイオリン」「僕の村は戦場だった(デジタルリマスター版)」「惑星ソラリス(デジタルリマスター版)」の3本を観た。14時から19時20分までぶっ続けでタルコフスキー三昧。
この3本はどれもタイプが違うが、どれも葛藤のストーリー。

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「ローラーとバイオリン」はソ連映画にありがちな説明的な物語が続く。いじめと青春がテーマの、わりと平和なストーリー。母親の言いつけを守るべきか、友情をとるべきか。

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「僕の村は戦場だった(デジタルリマスター版)」は、スパイでしか生きられない少年の話。戦禍の中でギリギリの場所で生きている少年の、生の葛藤のスートリー。
萩尾望都の「エッグ・スタンド」を彷彿とさせるストーリー。主人公の少年の、母親といた幸せな時代と、スパイでしか生きていけない切羽詰まった時代の目の表情が印象的。

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そして衝撃だったのは、「惑星ソラリス(デジタルリマスター版)」。
全般を通して、ほとんどBGMが使われておらず、シーンひとつひとつが生々しくもあり、なんだか夢の中にいるような感覚。
唐突に出てくる、70年代の日本の首都高速。赤坂見附から羽田への道。セリフは簡単なロシア語の単語が並び、とても聞き取りやすい。
要所要所に出てくる、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」へのメッセージ、そしてデビッド・リンチの元ネタが顔を出す。

舞台は、実際には存在しない「惑星ソラリス」での出来事なので、このストーリーはSFなのだろうと思う。
だけど、これはラブストーリーだと思うのだ。
亡くなった妻の実態のある幻影に囚われる主人公クリス。

もし私がクリスだったら、誰が現れるだろうか。
私は学者ではないから、思い出にどっぷりはまり込んで抜け出せなくなるのだろう。そうならなくてよかったと思う反面、思い出にどっぷりはまり込むのも悪くないと、心のどこかで思っている。

キューブリックの「2001年宇宙の旅」は、宇宙船のAIの変化と乗組員との対峙がテーマだったが、惑星ソラリスは環境と記憶と感情との対峙だ。科学者は人間であるべきか、それとも冷酷な機械然とすべきか。観念イメージ的な葛藤もついてまわる。

5時間も映画館にこもって観た、さまざまな状況においての人間の葛藤。
映画館を出て、なんだか地に足がつかない感じで帰路についたのを覚えている。

緊急非常事態宣言が明けた東京で、もう一度別なタルコフスキーを観るなら「サクリファイス」かなと思うが、これもハムレットから構想を得ているのであれば、やはり葛藤の話なのだろう。

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タルコフスキーの時代のソ連は、現実と理想の行き場のない怒りと葛藤の時代だ。
新型コロナ禍で、これまであった常識とは違う世の中にかわろうとする中で、これらの葛藤が私に与える影響は何か。
確かめに行くのも悪くはない。

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