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新しき地図 8 交通事故と突然死 (1~2)

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8  交通事故と突然死
 
   1
 
 野崎淳の交通事故死の後、施設のケアマネージャーをしていた平松美紀が、野崎淳の遺品を整理している最中、金庫の中から、鈴木宏こと野崎英一の「運転免許証」「銀行通帳」「クレジットカード」がでてきた。
 平松美紀が、それらをにこにこして自分に届けにきてくれた時の気持ちを、野崎英一こと鈴木宏は、これから先もずっと忘れないだろう。
 「運転免許証」の顔は、施設で毎日鏡を見て覚えた、自分の顔と同じ写真だった。
「銀行通帳」には、当面、働かないでも大丈夫なだけの、お金がはいっていた。
「クレジットカード」は使用期限の5年はまだ過ぎておらず、すぐ使えた。
 それらを隠し持っていた兄の野崎淳への恨み、あるいは、その野崎淳が死んだ悲しみ。それらにまして、「自分がなんものか」がはっきりした喜び。様々なものが混じりあった感情が、が野崎英一を満たした。
 そして、涙を流す、野崎英一こと鈴木宏の頭を、平松美紀は優しく抱きしめてくれたのだった。
 野崎英一こと鈴木宏は、その後、近所の地名や道路や鉄道など、新しく覚えていきながら、少しずつ一人で「のぞみ苑」から外出するようになっていった。
 外出してみると、このあたりに自分が長くすんでいたなんて、信じられない、まるで、はじめて訪れる異国の地のようだった。
 でも、急速に、野崎英一こと鈴木宏は、すべてを学んでいった。
学ぶ力は、まったく問題なかった。
 そして、知って行くたびに、野崎英一こと鈴木宏の心はときめいた。
 野崎英一こと鈴木宏は、今は野崎病院の理事長をしている阿部保にも電話で話をした。
「昔の記憶は残っていないが、これから野崎英一として生活することは十分可能だ」と。
阿部保は、その電話先で、
「嬉しいことだ。そのことを、野崎英一の母親の野崎純子にも連絡する」
と、答えたのだった。
やがて、野崎英一こと鈴木宏は、「のぞみ苑」を退所した。そして、小さなアパートを借りて、住み始めた。いずれ、平松美紀が遊びにきてくれればいいなあ、などと考えながら。
 そして、以前、ダイゴ医師とした約束のとおり、ダイゴ医師の紹介する病院にいき、腹部CT写真を、ようやくとったのだった。
 
   2
 
 施設長の野崎淳の急死は、「のぞみ苑」の運営にとって打撃だった。
 さしあたって、施設ケアマネージャーの平松美紀を中心に、まだ若い、田中健一や小林奈津子らががんばって施設を支えることになった。
 だが、野崎英一こと鈴木宏は、野崎淳がいることでなんとかコントロールされていた、老人施設特有の問題点が、表だって目立ち始めたと感じていた。それは、野崎淳の死後、鈴木宏(野崎英一)が退所するまでの間に、どんどん悪い方向にすすんでいき、歯止めがきいていないように彼には感じられた。
 なにが?と一般論で説明することはむずかしいことではあるが。
 例えば、自分で箸やフォークを上手にもてない入居者の食事介助のとき。
入居者のペースにあわせると、食事時間がのび、担当の介護者が他の仕事(介護)をする時間が短くなる。なので、介護者が、入居者に食事を食べさせる(入居者の口に、スプーンで食事を運ぶ)。そのほうが、早く仕事が終わる。
 だが、ゆっくり時間をかければ一人で全部食事を食べられる入居者に対し、介護の「効率」のために、介護士が、食べさせてしまう、ということはいいことだろうか?
 つまり、このような、「あやまった効率化」が、施設内のあちこちで多くみられるようになってきた、と鈴木宏(野崎英一)は感じたのだった。
 
 その日の昼食の時。食事の全介助をされているひとりの入居者が、どうやら食欲がなく、食事を食べようとしなかった。
 一人の、50歳近くの女性の三浦という名の介護士が、なんども、フォークを口元にもっていくが、その入居者は口をあけようとしない。
あきらめた三浦介護士は、大きな声で言った。
「XXちゃん、確か、あんぱん好きだったよね。あんぱん、食べよっか」
 しかし、その人は、なんど勧めても、そのあんぱんさえも食べようとしなかった。
「たべようよ、XXちゃん。食べなきゃ、死んじゃうよ」
 鈴木宏(野崎英一)は、眉をひそめてそのやりとりを聞いていた。
 そもそも、XXちゃん、という、なれなれしい言い方からして、嫌だと思った。自分が、見も知らぬ相手から「XXちゃん」と言われたら、どんな気分になるか?ぞっとする。
 とにかく、要介護者だって、健常者と同じように、食べたい日と食べたくない日がある。
(大声で、食べろ、食べろと言ったり、食べなきゃ死ぬよ、と言ったりする、その介護士は「がさつ」すぎる)
 そう、心の中で、鈴木宏(野崎英一)が非難した時、自称鈴木宏の妻である鈴木良子(女鈴木)が声に出して言った。
「うるせえ、ババア(鈴木良子のことではなく、その女性介護士に対してである)。本人が、食べたくないと言っているだろう。食べたくないなら、食わんでもいい!無理やり食わせるな!」
(ナイス!鈴木さん!)
 鈴木宏(野崎英一)は、心の中で拍手した。
 鈴木良子が、テーブルから離れようとすると、遠くで、新たな利用者に「食事介助」を始めた三浦介護士が、それに気づき、遠くからどなった。
「良子ちゃん。あぶないから、動いちゃダメ。まだ部屋にもどらないで」
(なにも、大きな声で、怒鳴らなくても。それに、そもそも、なぜ部屋にもどっちゃ、いけないんだ?そんなの、自由だろ)
 この事件には続きがあった。鈴木良子は、午後からのお風呂のときその三浦介護士に仕返しをされたのだった。
だが、そう勘繰ったのは鈴木宏(野崎英一)だけだったかもしれない。
 わざとか、わざとでないか、それはわからない。
 鈴木良子は、浴槽を、足でまたぐことができないので、ストレッチャーに横になってお風呂につかる「寝浴」をする。車いすから、そのストレッチャーに「移乗」するとき、それをひとりで行っていた三浦介護士によって、ストレッチャーから、落とされて(自分で落ちた、三浦介護士は報告していたが)しまったのだ。
「そこで、横になって待っていて。一人では動かせないから、今、人を呼んでくる」
 そう言って、浴室から出て行った三浦介護士が戻るまで、けっこうな時間、自分で立ちあがることのできない鈴木良子は、裸のまま、床にころがされたままだったのだ。
 鈴木宏(野崎英一)は、人を呼んでくる、と鈴木良子に言って浴室からでてきたその三浦介護士が、同遼の近藤介護士たちとゆっくりと長い間談笑している姿を目撃していた。
 
 以前から、鈴木宏(野崎英一)が、施設で利用者と共に暮らしてみて、嫌なことの一つが、早い就寝時間だった。
 施設長の野崎淳が亡くなってから、その傾向は、以前にもましてひどくなった。
 5時の夕食が終ると、6時からもう就寝がはじまる。夏だと、まだ外は明るいので、カーテンをしめて、ベッドに眠らされる。介護職員たちは、7時までに就寝させることに、命をかけはじめたようにさえ見えた。
 そんなに早く就寝すれば、夜中に目が覚めたり、朝早くおきるのはしかたがない。だが、それは「不眠」とされ、医者に睡眠薬の追加を頼んだり、「不穏」とされ抗精神薬が必要だと、報告された。
「なぜ、そんなに早く寝かせないといけないの?」
と、鈴木宏(野崎英一)が問うと、介護士の多くは、
「夜勤が忙しいから」
と言う。しかし、介護士の一人は、鈴木宏(野崎英一)にこっそり、
「夜勤は暇でしょうがない」
と教えてくれた。
 6時が過ぎて、追い立てられて部屋にはいっていく、鈴木良子に鈴木宏(野崎英一)は声をかけた。
「まだ眠くないんじゃない?」
「いいの。ぐずぐずしていると、怒られちゃうから」
「まだ、ゆっくりしていたら?」
「でも、起きていても、何も楽しいことがないから、それでいいの」
「こんなに、早く寝たら、夜おきない?」
「おきたら、いろいろなこと考えて、時間をすごすの」
「どんなことを考えるの?」
「ウーン・・・例えば、お金を稼ぐこと」
「?」
「ずいぶん、長い間、わたし、お金を稼いでいないからね」
 
 鈴木宏(野崎英一)が、問題だなと感じ始めた介護士は3人いた。
 一人目は、先ほど話にでた三浦という40歳代の女性介護士。
 鈴木宏(野崎英一)には、一般に、介護士は、看護師よりも優しいというイメージがあった。車いすに座って自由に動けない老人たちの、背中をばんばんはたきながら、大きな声で話しかけるのが看護師。一方、車いすの前に座って、入居者の正面から下からの目線で穏やかに話しかけるのが介護士。そういうイメージがあった。
 だが、三浦介護士は、鈴木宏(野崎英一)のイメージと違う、いわば、「看護師型」介護士とでも言ったらいいような介護士だった。「のぞみ苑」に来る前は、長い間、病院の療養型病床に勤めていたという。
彼女は、施設の掃除にきた外部業者にさえ、「ケアの邪魔だ。どけ」と平気でどなりつける。
 とにかく言葉があらっぽい。TPOを考えず、大声で、「ウンチ」の話をする。施設での検温のたび、あるいは利用者がデイサービスから帰ってすぐ、利用者に大声で、「ウンチでた?」と聞く。利用者の中には、「ウンチ」ノイローゼになって、夢にまで「ウンチでたか?」と聞く人が現れた、という話だ。
 そんなにウンチの話を聞きまくるにもかかわらず、ある利用者が便失禁をしても、その日に入浴の予定があると、おむつ交換をすぐにしないのであった。
「どうせ、お風呂にはいって、洗うから」
 鈴木宏(野崎英一)は、「ウンチ」とは違った意味で、この三浦に困っていた。一度だけ、鈴木宏(野崎英一)は、三浦に勧められたコーヒーを断ったことがあった。鈴木宏(野崎英一)はコーヒーが嫌いなわけではない。むしろ、好きな方だ。三浦に勧められたコーヒーを断ったのは、それが、インスタントコーヒーで、しかも、水で薄められ、歯磨きに使うコップにはいっていたからだ。
 だが、三浦は、それ以来、事あるごとに言う・
「鈴木さん、コーヒー嫌いだから、ださなくていいよ」
そして、鈴木宏(野崎英一)は、コーヒー禁止にされてしまった。
そして、その見直しは、行われることはなかった。
そのことを知らなかった他の介護士が、鈴木宏(野崎英一)にコーヒーをだそうとすると、めざとくみつけ、自慢げに三浦は大声でいうのだった。
「鈴木さん、コーヒー嫌いだから。だしちゃ、だめ」
 他にも、「あの人、糖尿病だから水分制限だって」といった、まったく根拠のない「制限」をもちだすことが、彼女は好きなのであった。
そもそも、三浦は天性のうそつきだった。自分がうそをういても、うそをついたと自分で思わない。だから「天性の」というわけだ。
 鈴木良子は、湿布を使うと皮膚がかぶれる。
「だから、湿布薬でなく、塗り薬のいたみ止めを使いましょう」
 そう言われているのに、三浦は、鈴木良子が痛いという背中に、痛みどめの湿布薬をはった。結果、鈴木良子の背中の皮膚には、湿布の四角形の形で、「かぶれ」ができた。
 だが、鈴木宏(野崎英一)は、三浦が「申し送り」で報告するのを聞いていた。
「私が、鈴木良子さんは湿布でかぶれるからやめたほうがいい、と言ったのに、貼ったのは小林介護士です」
「小林介護士は、お休みの日だが」
「ああ、昔そういうことがあったというだけです。今回は、たぶん、鈴木宏さんに勧められたからでしょう。あの二人、よく話しているし、良子さん、鈴木宏さんのいうことなんでも聞くから」
 もちろん、鈴木宏(野崎英一)は、濡れ衣を着させられたのである。
 食事のとき、「車いすから、食事のための椅子に移りたい」と鈴木良子が言うと、
「どうせ、あとで、また車いすにもどすんだから、車いすのままで食べて」。
 三浦介護士の口にかかると、まちがったことも、良いこととされる。
「移乗するときに事故がおきやすいから、車いすに乗ったまま食べることは、事故防止になるのよ」
 さらに、鈴木良子は食事のとき、服を汚さないようにと、エプロンを首からかけられるのだが、こともあろうに、そのエプロンの先はテーブルの上にひろげられ、そこに食器が置かれるのだ。これでは、食事のときに身動きができない。
「身動きできないから、エプロンの上に食器を広げるのはやめたらどうだろう?」
と、鈴木宏(野崎英一)が三浦に言うと、彼女は自慢げに答えた。
「あっ、これ?すごいでしょ。画期的。ほかの施設でやっているの見て、これ、便利だな、と思って。駆けだしの介護士にはわからない工夫よ。わたしは、介護のプロフェッショナルよ。それについては、自信、もっている」
 それについて、職員の中に異を唱える者はいないようだった。
 だが、鈴木宏(野崎英一)から見れば、それはエプロンを使った、いわゆる「拘束」だった。
(これが、介護のプロフェッショナルのすることなら、介護士という職業はいらないな)
 そして二人目は、新たにサービス提供責任者の役を任せれた澤田介護士。こちらも三浦と同じくらいの50歳手前の女性介護士だった。そして、澤田もまた、いわゆる、病院の療養型病床に勤めていた「看護師型」介護士だった。
 彼女は、責任者なのに、自分で何もきめられない、という弱点があった。
一方、勤務表を組んだり、1日の仕事をわりあてたりするとき、自分の都合を優先した。自分の仕事を、「わたしはやることがあるから」と他の人におしつけ、自分は、パソコン画面をぼんやりながめたり、ぶらぶらして時間をつぶしたりしているのだ。
「わたしは利用者と関わるのは嫌いだ」
と公言していた。反省の色はない。
そして、なにより、清潔感がなく、整理整頓、掃除に無頓着だった。
「わたしは掃除が嫌いだ。やりたい人だけやって」
と公言。これについて、反省するどころか、それが自慢にさえなっていた。
責任者が、そんな性格なので、そんな彼女の下で働く職員たちも、利用者が、食事をこぼした床をふかない。
「のぞみ苑」の玄関は、掃除が滞り、不要のものが多くおかれ、どんどん汚れていったのだった。
 おむつの入っていた空のダンボールは、施設のみんなから見える場所に山積み。
 クーラーのフィルター掃除。年2回みんなに協力してやってもらっている、と言っているが、実際はやられていない。
電球がきれて、新しいのを買ってくるのでなく、空き部屋の電球をもってきて終わり。その、空き部屋は、徐々に、ごみをいれる「開かずの間」になっていった。
 ごみ袋が一杯になると、新しい袋をもってこずに、横に置く。
 毎日使う、利用者のはぶらし。1年以上たっても、代えようとしない。 
など、など。枚挙にいとまもない。
 自分の弟の家は、ごみ屋敷だと、澤田介護士自身が言っていた。
「すごいわよ。とても、片付けられないの。
つい先日、娘が、部屋で、コンビニで買ったお寿司の上で、昼寝をしていたから、『おじさんの所みたいになってもいいの?』とさすがに注意したわ」
彼女は、彼女なりにできるだけのことをしようとしているのだろか?
でも、彼女の基準の「できる限り」は、残念ながら、平均以下だった。間違いなく、彼女にも「ごみ屋敷の住人」の血が流れているようだった。
 そして三人目は、田中健一介護士。彼は、まだ20歳後半の男性介護士だった。最近結婚したばかりで、子供ができたばかり。はりきっている。小中学校、外国によくいっていたせいだと本人は言っているが、漢字が読めない、字が書けない。もしかしたら、書き言葉がよく理解できない「失読症(ディスレキシア)」なのかもしれない。美容師の免許もあるが、研修についていけなかったという。
 将来は、サービス提供責任者を経て「マネージャー」という複数の施設を管理する地位について、しっかりお給料をもらいたい、という。だが、大手のように、いくつも系列の施設があるわけでない「のぞみ苑」は、そのような出世の可能性がないから、未来がない、いずれ辞めたい、と言っていた。
個人の野望は、仕方がない。ただ、問題は、彼のかっとなりやすい性格だ。彼が、利用者さんと話しているうちに、突然怒り出し、持っていた血圧計を床に叩きつけて壊してしまったということは、鈴木宏(野崎英一)も目撃していた。
 
 これら三人の介護士に共通な残念なことは、利用者に対して思いやりが足りないだけではなく、同じ職場の同僚に対しても、思いやりがないことだった。
 三人は利用者さんを怒るように、職場の同僚に対しても怒った。職場の同僚を大声で非難するように、利用者さんを非難した。
利用者に対しては不親切だが、同遼にはいい顔をみせる、とか、その逆のパターンとか、はない。
 結局、ある人の、他人に対する態度は、相手によって替わるというわけではない。根は一緒なのだ。
 職場の同僚につらくあたる人は、利用者にもつらくあたり、利用者さんに対し優しくない人は、職場の同僚に対しても優しくない。
 彼らの声を少しでも聞く者は、怒られないようにびくびくしながら毎日を過ごしていた。
 彼らを相手にしまい、と思っている鈴木宏(野崎英一)でさえ、その声や態度に、いらいらした。
 彼らが出勤していない日は、ほっとするのだった。
 彼らのひとつひとつの行動は、彼らがあまりに自然にふるまうので、それが普通のこととされ毎日がすぎていくような類のことなのかもしれない。それに、いちいち目くじらをたてるほうが、過敏すぎるといわれてしまうのかもしれない。
 だは、実はそれは、「公然の秘密」の性質のようなふるまいをしていた。大きな声をだせない他の職員は、彼らに怒られるのがこわかったり、あるいは職場によけいな波風をたてないようにしたかったり、で、彼らのやり方に従うようになっていくのだった。
 三人は、仕事の合間ができると、集まって、自分の家族のことや同遼の悪口を大きな声でしゃべりあっていた。
 そばでその話を鈴木宏(野崎英一)が聞いていても、まるで彼がそこにいない人かのように無視した。
 鈴木宏(野崎英一)には、この3人の介護士たちの間でされる話より、利用者たちが幼い妄想をしゃべりあうほうが、ずっと上品で、人に優しいと感じられた。
 
 鈴木宏(野崎英一)が、「この人はコーヒーを嫌いだから」と決めつけられ、誰もそれについて見直そうとしないために、コーヒーを入れてもらえなくなってから、しばらくたった。
 見直しをしてくれたのは、小林奈津子介護士だった。
 さらに、小林介護士は、鈴木宏(野崎英一)の好みの、濃い目のコーヒーをいれてくれるのだった。
 ある日、それを知った、三浦は小林に激怒した。
「この人、コーヒー嫌いなのに、なんでコーヒーだすの?」
 小林介護士は、この人は、実はコーヒーを嫌いでない、と三浦に言ったが、三浦は聞く耳をもたなかった。
 鈴木宏(野崎英一)の前にある、コーヒーの前に行って、カップをのぞきこむと言った。
「これ、熱いから、危ないわ」
 三浦は、水をもってきて、それをコーヒーカップに注いだ。
 コーヒーはカップから溢れそうになった。
「これでは、鈴木さん、のめないわ」
 そう、小林が言うと、三浦はプラスチックのスプーンをもってきて置いた。
「これで、すくってのんだら?」
 三浦は、自慢げだった。
 三浦は、ときどき、隠れて、利用者用にでてくるお粥にもお茶を注いでいた。そして、それを持って、厨房に「クレーム」しにいくのだった。
「この、水っぽいお粥、なに?食べれたもんじゃない。本当、この施設の厨房、最低だわ」
 
 ある朝、鈴木宏(野崎英一)は、鈴木良子の前腕が横軸方向に4cmほど傷ついていることに気づいた。
「どうしたの?その腕?」
「夜に、ベッド柵でぶつけてしまったの、大丈夫。このくらい。平気よ」
 だが、その日の昼間、鈴木良子は、ダイゴ医師のクリニックに行って、その傷を縫合してもらった。
 鈴木宏(野崎英一)は、その傷は、昨夜の夜勤の田中介護士が、暴れる(いや、言うことを聞かない=彼らの言い方では「指示がはいらない」)鈴木良子の腕を強く押さえつけたときにできたものだろう、と推察していた。
 昨夜、その現場を見ていたたわけではない。
でも、暴れなくても、言うことを聞かないだけで、田中介護士は、利用者の腕を強くつかむことを、鈴木宏(野崎英一)は昼間、くりかえし見ていたのだった。
 だが、田中介護士は、その前腕の傷は「鈴木良子が、ベッドの柵に自分でぶつけてできたもの」と主張した。
「のぞみ苑」の夜勤は1名だけだ。その夜、おこったことを目撃者は、夜勤をしていた田中介護士ひとりだけだ。田中介護士がつけた傷だということは、監視カメラが置かれさらに録画もされていなければ、立証はできない。
だが、「のぞみ苑」では、監視カメラは、入居者の状態に応じて使えるものの、24時間365日録画されてはいないのだった。
 
 


1 へのリンク: 新しき地図 1 プロローグ|kojikoji (note.com)

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