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新しき地図 9 交通事故と突然死 (3~4)

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9  交通事故と突然死

     3
 
 上原岳人と野崎淳の二人が 死亡した交通事故がおきた日から、半年くらいたったころ、上原春雄が、自分の部屋の 上で死亡した。
 車いすを施設職員に押してもらって、夕食をいつものように食べた後、自分の部屋にもどってから、15分くらいたったときに、ベッドで死んでいるのが偶然見回りにきた施設職員に発見された。
 突然死だった。
 ダイゴ医師は、すぐよばれて、「のぞみ苑」にかけつけた。
ダイゴは、言った。
「突然死ですが、これは自然死です。老衰では、しばしばこういうことがあります。事件性はありません。死亡診断書を書きます。家族を呼んでください。着いたら、そう、ぼくが説明します」
 上原春雄の妻、上原秋子は、ダイゴの説明に納得したようだった。
「彼も、この齢まで十分生きることができて、感謝していると思います。本当によくしていただいて。ありがとうございます」 
 そして、ずっと上原春雄の横から離れなかった、職員の小林介護士と抱き合って涙を流した。
 最後に、上原春雄に夕食を食べさせ、車いすを押して部屋にはいり、ベッドに移乗させたのは、小林奈津子だった。
 小林奈津子もまた、大きなショックをうけていた。
「少し前までは、あんなに元気だったのに」
職員の間では、小林奈津子は特に上原春雄に対して、他の入居者以上に優しく接するということが評判になっていた。まるで、本当の娘かのように接している、と言う者もいたくらいだ。
「同じ村にいて、小さいころから可愛がってもらっていたから」そう、小林奈津子は言っていた。
 半年前、小林奈津子は、つきあっていた恋人である施設長の野崎淳、そして幼馴染の上原岳人を交通事故で同時に失ったばかりなのだ。それだけで、悲しみは大きかっただろうに、さらなる悲しみに彼女はうちひしがれたかのようだった。
 その日から、小林奈津子は、「のぞみ苑」に出勤してこなくなった。
 上原春雄の妻の上原秋子も気の毒だった。半年前、息子の上原岳人が交通事故で亡くなったばかりだ。その上、夫の上原春雄が、老衰とはいえ、今、亡くなった。
 彼女と上原春雄の間には、もう一人、上原海人という岳人の弟がいたが、海人は2年前に首都圏を襲った、「京浜大地震」にまきこまれて、既に死んでいた。
 老女は、これで、二人の息子と夫、家族のすべて失ったのであった。
 
 この時、野崎英一は、もう施設を退所してアパートで一人暮らしをはじめたころだった。
 施設で、上原春雄がなくなったことを、野崎英一はダイゴ医師からの連絡で知ったのだった。
 野崎英一は、施設を退所したら、ダイゴ医師の紹介する病院にいき、腹部CT写真をとることを以前からダイゴ医師と約束していた。ちょうど、腹部CT写真をとりおえ、今度、ダイゴ医師のクリニックで、その写真の結果について説明をうける打合せをしているさなかのことだった。
 だが、世間というものは、なんと悪意に満ちているのだろう。
 野崎英一は、ダイゴ医師から、「あろうことに、上原春雄のこの突然死について、何者かが、ネット上に、デマの書き込みをしている」ということも、このとき同時に知らされたのだった。
 そのサイトは、かつての「2ちゃんねる」のようなもので、「のぞみ苑」が建つその地方にある様々な介護施設に関する噂話を、だれもが自由に書き込むことのできるサイトだった。
「この書き込みは、上原春雄の死因を『自然死』とした、ぼくの診断まで攻撃している。このウソの書き込みを削除するよう、ぼくは、このサイトの管理者を探して、申し立てをはじめた最中だ」
 鈴木宏(野崎英一)が、覚えて間もないインターネットを使ってそのサイトをみてみると、それは、先日「のぞみ苑」で、入居者の虐待死があった、というフェイクニュースだった。
(警察沙汰にならないように、施設側は上手に手をうった。しかし、上原春雄の死は虐待死である。職員の小林奈津子が、夕食後上原春雄をベッドに移乗したあと、ベッド上で、首をしめて殺した。彼女はそこの施設長の野崎淳と愛人関係にあったこともあって、施設ぐるみで、そのことの隠ぺいをおこなった)
 実名入り、実写真いりの書き込みだった。
 いったい誰がこんな悪意の書き込みをしたのか?
 恨みをもつもの?一体、誰に対して?小林奈津子に対して?「のぞみ苑」に対して?それとも愉快犯?
 それにしても、ネット上の記事は、「虐待死」「虐待者は小林奈津子」「小林奈津子は施設長と愛人関係」という点ではウソのものであったが、上原春雄の死亡時刻や「夕食の直後に死亡」という点では、事実のとおりであった。
 そのような情報を知っているということは、このデマを流したのは、やはり、「のぞみ苑」の職員の誰かしかないということか?
 では、いったい誰がこんなひどいデマを?
 鈴木宏(野崎英一)の頭には、例の3人、三浦、澤田、田中の3人の介護士の顔が思い浮かんだ。だが、ネット上に悪意の書き込みをしたのは誰かを特定することは、不可能に近い。
 ダイゴと鈴木宏(野崎英一)は、電話で話を続けた。
「それにしても、上原春雄さんが、小林奈津子さんによって虐待死させられた、なんて。ひどいデマですよね」
 そう言うと。ダイゴは答えた。
「そうだね。悪意のかたまりでしかない。
 確かに、他の施設でも、直接的ではないにしろ、虐待死に近いことはおきている。最近も、ぼくの知る他施設で、冬なのに入浴後に放置され、低体温で入居者が凍死したケースがあった。でも、本人は重度の認知症で、家族も、高い施設入所費用が負担で、安い施設をあちこちさがしている最中におきたケースだった。
 家族にとって本人がお荷物、という場合は、事件にならない。家族は、施設を訴えるようなことはしなかった。結果、警察もはいらず、自然死、ということで収まった。施設職員が、このことを、ネットで流し、虚偽を告発する、という風にもならなかった。強いて言えば、この場合、死体検案書でなく、死亡診断書を書いた担当医に非がある。
 非がある、といってもね。要するに、結局、だれかが悪役をひきうけなければならない。漫画ブラックジャックにでてくる、死を運ぶ『ドクターキリコ』って知っているかい?その診断書を書いた医者は、『自分はドクターキリコみたいだ』と感じたにちがいないと思う」
「へー。そんなこともあるんですね。ところで、ダイゴ先生は、誰が、ネット上にデマを流したとお考えです?」
ダイゴもまた、それについて答えをもっていなかった。
 だが、鈴木宏(野崎英一)の知らない情報をひとつもっていた。
 それは、上原春雄の死後、部屋の清掃がされたときに、施設が設置した部屋の監視カメラの他に、もうひとつのカメラが、上原春雄の部屋から発見されたということだった。
 誰がそれを置いたのか?
 今のところ、半年前、野崎淳と共に車の交通事故で死亡した上原岳人が、まだ存命中、父親の上原春雄の施設での様子を見るために施設に黙って設置。上原岳人の死後、放置されていた、と考えることが一番有力だった。
「ただ、この事件についての様々な書き込みをみていくと、ひとつ、この新しく発見されたカメラからの情報をのせたとしか思えない、記事がひとつあるんだ。カメラをつけたのは、上原岳人かもしれない。だが、半年前に、上原岳人は死んでしまっている。
 では、いったい誰が、この新たに発見された監視カメラをみていたのだろうか?」
 その記事には、上原春雄がなくなる直前の様子を録画した動画がのせられ、次のようなコメントもよせられていた。
『この記録動画は、上原春雄が虐待死したというのはフェイクニュースで、本当は自然死だったということの証明である』
 野崎英一も、ダイゴ医師の指摘したコメントをそのサイトで確認した。
「いったい、この動画は?」
「そうだ。他の人のコメントにもあるように、この動画そのものが、フェイクでないことも証明できない。だが、実際にわれわれが検討したところ、この動画上で、上原春雄が写っている角度、記録されている日時、は、その新たに発見された監視カメラで録画されたものと考えても、まったく矛盾しないんだ。つまりこの動画はフェイクではない。そして、投稿した者は、『のぞみ苑』や『小林奈津子』がフェイクニュースによるデマで非難されていることに対し、異を唱えている、ということだ」
「それはいったいどういうこと?」
「まだわからない。ただ、上原岳人が設置したその監視カメラを、上原岳人が死亡した後も、見続けていた誰かがこの世の中にいるということを示している」
 今、警察を通じて、そのサイトの管理者に、外部からの書き込みのアクセスログ解析の開示と、上原岳人の知人についての聞きこみ調査を行っているところだが、あきらかな事件性がないため、警察の動きは鈍いというのがダイゴ医師からの話だった。
 
   4
 
 「のぞみ苑」は、まもなく経営不振に陥った。
 中心になって働いていた、施設長の野崎淳の交通事故による死亡が最初のきっかけだった。施設を束ねていた野崎淳がいなくなると、「のぞみ苑」の介護はばらばらになっていった。
 最後におきた、上原春雄の死を虐待死とするネット上のフェイクニュースも、少なからぬ影響を与えたかもしれない。
 上原春雄の死について、警察が動いて、虐待死として調査を行うということは、現実にはまったく起きなかった。だが、ネット上のデマが、実際の社会でおこっていること以上に大きな影響を与えることがある。特に、介護の世界では、その傾向は低くない。
 何者か(それは、「のぞみ苑」に不満をだく、その内部職員なのか?)が流した、フェイクニュースはその世界でひとり歩きをした(そのようなフェイクニュースを流すような、質の悪い介護職員が「のぞみ苑」に増えてきてしまっていたのか?)。
 現実的な根拠が、まったく無い(確かに、野崎淳が施設長だったころとは違っていたにせよ)にもかかわらず、「のぞみ苑」が悪い介護をおこなうというイメージが定着した。その結果、職員は、「のぞみ苑」への就職を敬遠し、その噂は、「のぞみ苑」への入居希望者の減少にもつながっていったのである。
 それは、最初は、予防接種が「とても痛い」と思いこんで、注射をうつ前から泣いている子供のようなものにすぎなかっただろう。
 しかし、それがネット上では、現実と違い「予防接種は副反応が怖すぎるからうつのをやめよう」と変わっていく。
 そこでは、デマを訂正する現実の力、教育や啓蒙がない。あるいはそれらの力が無力化されてしまう。
 さらに、この「妄想や空想あるいは幻覚」は、老人施設の入所者の中にあって、それらのいろいろな妄想や空想あるいは幻覚と共に入所者が日々生活を送っているのとは、性質が異なる。入居者たちの「妄想や空想あるいは幻覚」は、毎日の日課が妨げられなければ、目くじらをたてるようなものではない。
 だが、ネット上の、「妄想や空想あるいは幻覚」としてのデマは「のぞみ苑」の経営に、現実的に悪影響を与えたのだ。
 一方、その「妄想や空想あるいは幻覚」の内容は、老人施設の中のそれに比べると、ずいぶん稚拙で下品なものにはみえないか?
そこで「そんなところで気取っても仕方がない」といえば、それまでの話なのだが。
 
 この野崎淳と上原岳人の交通事故と、上原春雄の突然死(老衰死)のあと、関係する、医療法人「野崎病院」は、新しい施設長を送りこみ、減少する入居者と職員の問題に対しての対応にはいった。
 だが、その未来は厳しそうであった。
 事故で死んだ、施設長の野崎淳は、常々、政府に設定されている介護報酬が低いことが介護経営を圧迫している、とぼやいていた。
 だが、介護の世界の根本の問題点は別にあるのだ。
 それは、「勤続年数が長く、資格をもつ人が、能力がある」という建前が誤っていることだ。現状は、「勤続年数が長く、資格をもつ人ほど、悪癖がある」。
 悪癖=高齢者等に優しさが欠ける=能力がない。
 そういう人たちが中心になっている現場に入ってきた新しい人たちも、次々にその「悪癖」に染まっていってしまう。
 その悪循環がたたれる兆しは、未だないのだから。
 
 いずれにせよ、この「のぞみ苑」の経営たてなおしの際、死んだ野崎淳の弟にあたる、鈴木宏こと野崎英一に何らかの声がかかることはまったくなかった。
 記憶喪失になった、野崎英一は、もはや、医療法人「野崎病院」の一員ではないかのように。


1 へのリンク: 新しき地図 1 プロローグ|kojikoji (note.com)

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