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日本の天文学(近世)

前回の日本天文学の歴史(中世)に続く「近世」です。戦国時代から江戸時代末までと思ってください。

前回、鎌倉時代に民間向けに分かりやすく落とし込まれた仏教が広まった話をしました。

戦国時代になると、仏教を含めた三大宗教の1つ「キリスト教」が関わってきます。

時代は16世紀の大航海時代、キリスト教(特にカトリック系のイエズス会)の宣教師たちがはるばる海を渡って日本にもやってきます。

布教手段で西欧の最新科学も伝え、西欧では知られていた「地球球体説」もこのころに織田信長など有力者に伝えられています。

フランシスコ・ザビエルもその一人で、科学を布教手段にすべく本国に進言し、その筋にあたるペドロ・ゴメスが著した自然科学の書「天球論」がその代表的なものです。

布教手段と書いた通り、キリスト教にとって都合のよい解釈での宇宙論です。例えば宇宙創造はゼウスの手によってなされる、としています。

と言いながらも、地球は平らでなく球状であるという正しい科学的事実も伝えており、依然地球中心の天動説ではあったものの、大きな動きです。(タイトル画像は1492年に造られたとされる世界最古の地球儀)

ちなみに、地動説で有名なガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は丁度この頃に活動しており、彼の亡くなった年にアイザック・ニュートンが誕生します。まさに時代の変曲点ですね。

ただ、有名な話ですがキリスト教は徳川幕府による江戸時代に禁止となります。
そして今度は宗教の布教手段ではなく、実利的な文脈で天文学の知識が再注目されます。

それは季節を読む「暦(こよみ)作り」です、

天体の動きから今でいうカレンダーを作っており、当時は中国が制定したものを800年(!)も使っていたのですが、さすがに精度はいまいちだったそうです。

やっと17世紀後半にその改暦が行われましたが、「天地明察」という映画にもなったので覚えてるかもしれません。(あくまで小説)

この改革で終わりではなく、江戸中期になると、通称「天文将軍」とも呼ばれる人が登場してさらに一歩踏み込みます。

お茶の間には「暴れん坊将軍」として知られた「徳川吉宗」です。

当時鎖国は続いてましたが(この定義も揺れてるそう)、一部の学問を輸入解禁し、その1つが天文学でした。(理系が好きな将軍ともいわれてます)

そして吉宗は西洋天文学の技術で、依然精度が今いちだった暦を再度改革しようとします。

このあたりの経緯は、過去にもふれましたので引用しておきますが、彼の死後もその指針は残っており、当時話題となっていた天文学者「麻田剛立」の弟子が担います。

ざっくりいうと、
西洋望遠鏡と科学的精神を備えた麻田剛立が育てた弟子が、初めて西洋天文学に基づく改暦を成功させた、
という話です。

ただ、この頃も「天動説」が一般的でした。

それが、明治維新による文明開化で、西欧では普及していた「地動説」の教科書が一気に和訳されて人口に膾炙していきました。

ここからは欧米の情報も入ってきて、それも踏まえた天文学の研究が日本でも行われていきます。


<本文引用以外での参考リソース>

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