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【書評】カール・シュミット『パルチザンの理論』--パルチザンには誰も敵わない

 文学作品を読んでいると、こうした戦争の場面に出くわす。たとえばティム・オブライエンの作品では、ベトナムのジャングルを行軍していて、いきなり見えない敵に攻撃される。敵がどこから撃ってくるのか分からないし、どこへ去っていくのかもわからない。気づけばちょっと隊列から外れた兵士が撃たれ即死する。応戦しようにも、どうしていいかわからない。なぜなら敵の姿が全く見えないからだ。
 あるいはイタロ・カルヴィーノの『蜘蛛の巣の小道』には、ナチスと戦うイタリアの部隊の話が少年の視点から語られる。部隊といっても正規の軍隊ではなく、どちらかといえばボランティアの青年団といった形だ。彼らは森や山に隠れ、地の利を生かしてナチスの兵士たちを攻撃しては、どこへともなく去っていく。
 なぜこうした非正規戦が20世紀の文学でよく書かれているのかが気になっていた。このカール・シュミットの著作『パルチザンの理論』を読むと、そもそも正規軍が決まった戦線で向き合い、国際法を味方にしながら正々堂々と戦う、といったやり方がとっくに古びてしまっていることがよくわかる。
 ヨーロッパで作られた国際法は、国家と国家の正規軍による戦いを前提としていた。けれども事態はここ数百年で大きく変わる。アメリカ独立革命で、イギリス軍はなぜかアメリカの一般人に負けてしまう。ナポレオンはロシアの奥深くに進軍し、農民たちのボランティアの兵士たちに敗北する。ナチスもロシアを狙うが、スターリンによって持ち込まれたパルチザン戦によってあえなく破れる。
 外国に攻め込んだ軍隊は、どこか戦場になっているかもわからぬまま、強固な民衆に予想外のタイミングで襲われて、知らず知らずのうちに負ける。アフガニスタンにおけるロシアも、イラクにおけるアメリカも同じだ。これがシュミットの言うパルチザンの戦争である。こうした非正規的な戦いについて考えないと、20世紀以降の戦争の実像を理解できない、というシュミットの思考には現代性がある。

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