カンバン19

《第10回SCCしずおかコピー大賞 独りごと反省会。》 vol.19

課題2:人と人との絆を伝えるコピー
 ・さよなら、人見知り。
  こんにちは、顔見知り。

コミカルなコピーだ。これを学校の先生が書いたというのは、共感が持てますね。きっと、ユーモアのある授業をしてくれているのではないかと思います。そんな、ほのぼのとしたスタートから、『さよなら』と『こんにちは』というフレーズを考えてみたいと思います。ちょっと寂しく、ちょっと優しい組み合わせに、大らかな昭和の広告を思い出しました。

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「こんにちは土曜日くん。」(伊勢丹) コピー:土屋耕一
詳しくは、宣伝会議で山本高史さんが書いてくれています。

あの時代、人でなくとも「くん」付けをして呼んでくれるのだ。こんなにも親しみを込めて迎えられたのなら、どんなに嬉しいことだろうか。

このコピーの作者の年齢は知らないが、この『こんにちは』は同じような親しみや優しさを伝える呼びかけがある。でも、その前に『さよなら』が横たわっている。これは、何か?

昭和の感覚でいえば、『さよなら銀河鉄道999』(作 松本零士)、『涙くんさよなら』(歌 坂本九)が思い当たる。この『さよなら』も親しみや優しさが込められた別れの挨拶だ。

そうなのだ、この『さよなら』には、自己否定が含まれていないのだ。

消し去るのではなく、いったんの別れ『さよなら』するだけで、じぶんの中に確かに存在はしている。人見知りのじぶんは、ネガティブであっても自己否定するほどのものではない。このありのままのじぶんが、ほんの少し勇気を出して『こんにちは』の挨拶をする。この「少しの勇気」によって生まれた親しみや優しさという情緒的価値により、声を掛け合う顔見知りが増えていくベネフィットに辿り着くのだ。

コトバの並べ方も上手にできていて、さすが先生とお伝えしたい。ユーモアもあり、眼差しが優しくもある。
(ただし、「、」以下の漢字が固まっているところを何パターンか書き出して、最適な漢字とひらがなの組み合わせをチョイスできれば、モアベターであったのではないかとは思います。)

それでも、入賞に至らなかったのはなぜか? 個人的には残念な話になってしまうのだが、「もう、こういう時代ではないから」ということだと思う。

例をあげれば、昭和の時代には、子供を大人が叱るのは当たり前、子供は親だけでなく地域や社会の大人も一緒になって育てていた。労働組合が力を持ち、職場でも助け合いの精神が息づいていた。ベビーブームは、親戚の数を増やし、家族や一族の絆も大切にされた。
しかし、時代は令和に至り、これら昭和のモノゴトは既に崩壊していたことに気づく。子育てはワンオペなど多くの問題を孕み、地域コミュニティーの崩壊からSNS等の新たなコミュニティーが誕生する。組合の弱体化、個人主義の台頭、核家族〜家庭崩壊・虐待・いじめ・貧困・・・というように、呑気な昭和の概念は「過去の歴史」になっていたのだ

このコピーの概念では、今の社会には通用しない。あくまでも、過去そういう方法もあったよ! という精神論的なアドバイスの一つに止まってしまうように感じる。(昭和を生きてきた私としては、何だか悲しい気持ちになってしまうのだが、目を背けるわけにもいかないのでいたし方ない。)

コピーは時代の空気を表さなければいけない。普遍的なモノゴトであっても、「その時」「その場」で通用しなければ、認知され使用されることはないからだ。そのためには、時代の空気を頭と身体の両方で感じ取る習慣をつけることも必要になる。このコピーは、時代の空気を感じ取り文字に落とすことの必要性を教えてくれたコピーであり、昭和という時代が歴史になったことを改めて教えてくれたコピーだと思います。


※コピーの版権・著作権等の使用に関する権利は、静岡コピーライターズクラブに帰属します。
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