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⚫︎奈良の似顔絵⚫︎菩薩半跏像(伝如意輪観音)@中宮寺


[Global NARA] 1999 No.14

グローバル奈良 第14号 1999年8月発行(表紙+裏表紙)イラスト、表紙の言葉/中田弘司

表紙の言葉
菩薩半跏思惟像(寺伝では如意輪観音とされ、弥勒菩薩 とする説もある)は優雅な表情と指先、そして考える姿 で「慈悲」を具現化する。人は意味や名前を付けて安心す るが、もっと深く考えないと「慈悲」にたどり着かない。

企画・編集・発行/奈良県企画部文化観光課

本来のこの像は漆黒です。1999年のイラストですが、当時この像について調べれば調べるほど「慈悲」というコンセプトを表現するのに、真っ黒のお顔にすると、どうも腑に落ちない感じになったので、この像のイメージを重視してこのような色に仕上げました。

また、この像については、亀井 勝一郎は『大和古寺風物誌』で、次のように書いている。

 このみ仏は元来木彫であるから、広隆寺の思惟像のように、いまよりもっと柔かく美しい姿を現わしていたであろう。後になって保存のため漆で真黒に塗りつぶしたので、いまは鋼鉄のような感じを与える。これは私の想像であるが、今より百年あるいは二・三百年経った後、この漆が剥脱して、もとの木肌があらわれたとき、その色彩と陰翳はいかばかりすばらしいであろう。私はこのみ仏に、そういう将来を期待しているのだ。そうなる頃はむろん私は生きていない。拝することが出来ないのは残念であるが、その代り私自身も仏さまになっている。

――昭和十四年春――

亀井 勝一郎『大和古寺風物誌』(1943年) 新潮文庫より

(青空文庫でも読めるということは、もう著作権切れなのだろうか?)

昭和14年は1939年、今は2023年なので、この文章からもうすぐ百年だが、先日改めて、拝観してきたが変わらず、まさに漆黒という仕上がりのままでした。
だから、あと二・三百年経った後、この漆が剥脱して、もとの木肌があらわれたとき、このイラストのように見えると嬉しく思う。もちろん拝することが出来ないのは残念であるが、その代り私自身も仏さまになっている(のだろうか?)




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