お金持ちのお友達
クッキーを貰いました。
なんか海外の入れ物に入ってる緑のやつ。
普通に良くあるクッキーなのかなと思い、一口頬張って驚きました。
そのクッキーは、例えるなら小学校の時お金持ちの友達の家に必ずあった海外のクッキーの味がしました。そういうクッキーはなぜか決まって缶に入ってます。まさに、そんな味がしてめちゃくちゃ美味しかったです。
その時、ふと思ったんです。私の実家にはいつもお菓子なんて無かったなあと。
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そんなに裕福な家庭で育たなかった私の母の口癖は「お金が無い」でした。お菓子は私がすごくお願いすれば一つ買ってもらえる程度で、買ってもらったとしても母か姉に食べられておしまい。私の分なんてありませんでした。食事も、ひどい時はふりかけご飯、醤油ご飯、大根飯だけの日もありました。おかげで今は白米が嫌いでめったに食べることはありません。(お寿司は好きなので食べます)
昔、おばあちゃんの家に行った時のことです。おばあちゃんに、「夜ご飯何食べたい?」と聞かれ「醤油ご飯が食べたい」と言っていました。するとおばあちゃんに「そんなもんは貧乏人の食べるもんや」と怒られて何が何だかわかりませんでした。今思うと子どもって怖い。本当に何でも言っちゃいます。
ある程度高学年になってくると、友達の家と自分の差を感じ始めます。どうして友達の家は夕方になるとこんなに良い香りがするんだろう?どうしていつもお菓子があるんだろう。幸せそうに「一緒に食べる?」と聞いてくる友達の顔は今でも忘れられません。ある友達の家に行った時なんか、チーズケーキが三人分出てきました。いきなり家に突撃したのにチーズケーキが三個出てくる家って何事…と子どもながらに思ったことを覚えています。
そんな幼少期を過ごし、あっという間に私も大人になったわけですが、相変わらず家にチーズケーキはありません。自分のためにご飯を作る気にもなれず家には何も食べるものはありません。でも、食べることに対する幸せはものすごく感じられるようになりました。
好きな時に好きなだけ食べるものを買える幸せ。好きなものを自分で買える幸せ。誰にも取られる心配も無い。買おうと思えば、チーズケーキだって好きなだけ買えます。
たまに行く外食では、お皿の形、箸置きの色、綺麗に彩られた食事、素材そのものの味など、作ってくれた人からの愛までしっかり受け取り、嬉しさで泣きそうになることもあります。食事で人を泣かせることが出来るなんて、素晴らしいお仕事だと思います。
ただ知り合いにもらっただけのクッキーからこんなに「食」に対して考えさせられるとは全く思っていませんでしたが、私はこれからも色んな物に、人に感謝出来る人間でありたいなと思います。
いつかは自分の子どもの友達に「チーズケーキ食べる?」と聞けるお母さんになれたらいいなあ、なんてひそかな夢も抱いているので将来はケーキ屋さんの近くに引っ越す予定です。
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