防犯ブザーの思い出
中学校に上がってすぐ、初めて制服を着て通う人生になってわりとすぐのころから、父は私にうさぎ型の防犯ブザーを買い与えた。
「世の中物騒だし、通う道はくらいところも多い。変なやつはどこにいるか分からないから、用心にこしたことはないから必ずカバンにつけてなさい」
父は子ども心に怖い人だったので(私が大きくなってからはキュートさのほうが勝る人である)、はい、といい子に頷きつつ、内心はこう思っていました。
「うへぇ…」
防犯ブザーはちゃんと職務を自覚しているようで、ちょっとした弾みで押さえが取れてビービー鳴り出す。その音がまたけたたましいのだ。行き帰りにいきなり鳴り出すならまだしも、授業中にロッカーから鳴り出した時にはあまりのことにげんなりした。
直接言われることは無かったけれど、クスクスわらうクラスの人達の意識はこうだっただろう。
「あんなのつけて、自意識過剰じゃない」
ひしひしと感じる侮辱はなかなかにつらかった。
ちょっとの力では押さえが外れないようにセロテープで貼り付けて、カバンからぶら下げてるのは恥ずかしくてカバンの中に押し込むようにファスナーを締めて。そうして中学校の3年間、うさぎ氏は本来の能力と職能とを半減されたかたちで、ひっそりとその役目を全うしたわけである。
さてひるがえって昨今の子供を取り巻く色々な事件事故。「近年だから増えた」のではないでしょう、「いつだってそこかしこに危険はある」という事実それは、時を経ても変わらないこと。
わたしも子を持つ親の多い年代になりました。父に母になっている当時のクラスの人達も少なくはないでしょう。彼らは我が子に防犯ブザーをきっと持たせるでしょう。自分はそれをつけていた同級生を笑ったことなど忘れて。
テレビでネットで散々報道されるようになったから。防犯意識と自己防衛とは大切なことだから。子供用の防犯グッズは世に溢れているから。持たせることなんて“当たり前”だから…。
“当たり前”になる前から、本質的なところは何も変わってません。子供には自衛の意識を、保護者は保護のための出来うる限りの努力を。問題の本質を捉えれば、表層的なところなど取るに足らないものです。が、“当たり前”と“物珍しさ”とがこうもスイッチングを見せる20年という歳月を眺めてきました。そして多くの人の、親の、子どもの、愚かさを見るにつけていつも思うのです。
ほら、わたしのお父さんは、間違ってなかったじゃないか。
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![小池祐子(『小池祐子のらくがきラジオ!』パーソナリティ)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/24155006/profile_6192c0f4988743614a487b0673f3221b.png?width=600&crop=1:1,smart)