韓国映画『手紙 オモニの願い』
母親の子供に対する愛情がいつも悲しいのは、常に片恋(かたおもい)だからである。そう語ったのは寺山修司だが、今作を観ている間、私もこの言葉を思い出さずにはいられなかった。
高校生のギガンは、退屈な田舎に嫌気がさし、女手一つで育ててくれた母を捨て、悪友と共に都会を目指す。彼を突き動かすものはただ一つ。「自分はいつか大物になる」という根拠のない自信だ。
80〜90年代の急速な経済発展と、ギガンの勢いがマッチしている。何のためらいもなく母や故郷を捨ててしまうのも、時代の雰囲気だと思うと納得できる。
都会で悪事に手を染めるうち、殺人事件に巻き込まれ、死刑判決を受けるギガン。刑務所にいる息子を救うため、孤軍奮闘する母親の姿が胸を打つ。
「国民の母」と呼ばれる女優キム・へスクが、今作では文盲の母を演じている。近所に住む医師に頼み込んで読み書きを教わり、拙い文字で手紙を書く。その様子は、冷ややかな眼差しを向けていた周囲の人たちをも変えていく。
減刑を求める嘆願書が集まり、母の願いは手紙と共に、死刑を待つギガンの元へ届く。想いが報われる瞬間だが、母の体はすでに病魔に蝕まれていた。
面白いのは、韓国と日本のタイトルの違いである。原題を直訳すると「大きくなる奴」。
ギガンが田舎でくすぶっていたときに、村長から言われたセリフ「お前はいつか大物になる」からきているのだろう。この言葉がギガンの支えとなるが、同時に破滅へ向かうきっかけにもなるのが皮肉である。
ギガンの若さと愚かさ、その後の更生に焦点を当てている原題に対して、日本語のタイトルは母親の息子に対する思いが前面に出ている。
情報伝達のツールは多様化し便利になったが、私たちは普段から愛する人に想いをちゃんと伝えているだろうか。伝えなくてもわかっているはずと甘えたり、逆に諦めてしまってはいないだろうか。日本語版のタイトルは、そう私たちに問いかけているようだ。
『キネマ旬報』読者の映画評 一次通過