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韓国映画『ビニールハウス』

 韓国では土地の価格が高騰し、貧困層が農村部のビニールハウスに住まざるを得ない状況が社会問題化している。

 今作では、シングルマザーの介護士、居候先の男から性虐待を受けている知的障碍者、少年院を出所した不良少年たちの行き着く場所としてビニールハウスが登場する。雨風が吹けばすぐに壊れてしまいそうなビニールハウスは、彼らの安住の棲家にはならない。

 訪問介護士として働く主人公のムンジョンは、認知症の女性を入浴介助している途中、ふとしたきっかけで殺人を犯してしまう。途方に暮れるムンジョンは、遺体をビニールハウスに運び、施設に住んでいる実母を代わりに住まわせることにした。

 被害者の夫は全盲のため、妻が入れ替わったことに気づかない。老夫婦の息子家族は遠くに住んでおり、介護の一切はムンジョンが担っている。上手く誤魔化せたかに思えたが、やがて綻びが生じ始める。

 舞台は農村だが大家族が出てこないのが、韓国映画にしては珍しい。農村部でも封建的な家族制度はすでに形骸化しているのに、ムンジョンも老夫婦も「あるべき家族」に固執している。

 韓国ではいまだに施設に入ることは良くないことだという風潮があるのだろうか。かつては家の中の女性が担ってきた介護労働が、現在では福祉制度が役割を担いつつあるが、制度の網目からこぼれ落ちてしまった人々は、「家」や「家族」を拠り所にするしかないのが、観ていてもどかしかった。

 知的障碍者のスンナムは、グループカウンセリングで優しくしてくれたムンジョンを頼りに、ビニールハウスに潜り込む。彼女もムンジョンと「家族」のような関係を求めているが、その関係性はビニールハウス同様あまりに脆弱だ。

 場当たり的な行動を積み重ねた結果、すべてを失ってしまったムンジョンとスンナム。陰鬱な気分で映画館を出た私は、このラストを肯定的に捉えることはできないか考えた。

 彼女たちは負のループを自分の手で断ち切ったと言えなくはないだろうか。少なくとも罪を重ねるきっかけとなった「家」は、彼女たち自身の手によってもうどこにもない。


『キネマ旬報』読者の映画評 一次通過

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