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【細胞談義037】その感覚は誰にとっても当たり前か

人によって異なる感じ方、受け取り方。これについて考えてみます。
・感覚の多様性
・進化の中で残された多様性

「感覚の多様性」
痛い、冷たい、暑い、明るい、暗いとか、生物は外からの刺激に反応します。それを担っているのは、神経です。手のひらには圧力や温度を感じ取るセンサーとしての神経があって、それが脳に通じているわけですね。基本的な神経の仕組みは同じなので、何をどう感じるかという内容は、大体同じはずですよね。
それでも、全然違った感覚が受容されている例はたくさんあります。例えば色覚多様性を持つ人がいます。赤が見えにくいとか、緑が見えずらいとか、人によって特徴は違ったりしています。つまり同じものを見ても、どう捉えているかは人それぞれなんですね。

目には光のセンサーと言える部分として網膜があります。ここには視細胞という光に反応して電気信号を作り出す神経細胞の一種が存在します。
色を受容する細胞は錐体細胞と呼ばれるんですけど、これは3種類あって、それぞれが青緑赤に対応することで、光の三原色ですね。この3種類というのが人間では可視光をカラフルに捉えるために働いていますが、色覚多様性を持つ人の中には、3つのうち2つしか機能していなかったり、はたらきが弱い場合があります。
この時、同じものを見ていても、見えている色彩は違うということになります。

この色覚多様性を持つ人は日本人男性だと20人に一人と言われていて結構身近ですよね。ひとクラスに一人は見え方の感覚に違いがあるという計算になります。女性は500人に一人くらいと言われていますが、割合が全然違う理由は、この色覚に重要な遺伝子が性染色体上にあるからですね。女性はXXと二つ持っているのでカバーできるんですけど、男性はXYなので、X染色体上の変異が現れやすいんですね。(参考:日本眼科医会

こう言った色覚の特性は、単に赤色が見えないだとか、多くの健康な人の正常と比較して見えないものがあるという意味で、色覚異常と呼ばれた時代もあったんですけど、今ではヒトの遺伝子の多様性の一つと考えられているので、色覚多様性という呼び名に変わりました。

でもそう考えると色ってなんだか不思議ですよね。
見えている人の場合、赤色だけ消した写真のような「赤色が見えていない世界はこんな感じですよ」っていう写真とか見ても、本当にそう言う風に見えているのかわからないですし、元々見えていない場合は答え合わせのしようがないからそういうものだと捉えているでしょう。

多様性があるとわかっているのであれば、できるだけ多くの人が勘違いしないようなデザインというものがいいはずですよね。
なので色に関して言えば、カラーユニバーサルデザインというものがあります。コントラストを高めたり、見えずらいと感じる人が極力少なくなるような色合いを選んで使うというデザインですね。これはバリアフリーの一種で、最近の研究論文のグラフとか発表スライドなどでは、こうした色使いが推奨されたりしています。


「進化の中で残された多様性」
一方でちょっと物騒な話ですけど、自然界の生き物には適者生存とも言えるような厳しい戦いの定めがあるわけですよね。環境に応じて、生存に不利な特徴を持つ生物は数を減らしていくと考えられますよね。見えないと言うことが何か不利に働かなかったのか?と言う疑問があるとします。例えば緑が見えなかったら森の中でどうするのだろうか?

でもむしろ、この長い進化の過程で多様性が残されているということは、特に不利には働かなかったのだろうとも言えますね。
実は緑が見えづらい場合に、逆にコントラストには敏感に感じ取れる様になることもある様です。例えば、淡い緑・濃い緑、青っぽい緑・黄色っぽい緑、これらは全部緑が見えている人からすれば「緑系の色」ということになります。しかし緑が見えていない場合にはそれぞれの濃淡や混ざっている他の色で見えることになるので、その違いが目立つという仕組みらしいんですね。
(これは個人的な推測ですが)多様性を持った人は、見えている人以上に微妙な違いに気づけることで、危険を察知したり獲物を見つけやすかったりしたのかもしれないですね。動物は色や模様で擬態して隠れていますし、熟した果物は微妙に色が変わっています。
だからむしろある意味では、これまで色覚の異常と呼ばれていたけど、ある条件では正常と呼ばれるグループより優れていると言うこともあるかもしれないですね。

そんな風に考えると、みんなそれぞれの「違う感覚」って意味があると思いませんか。「自分はこう感じた」「こう言う風に思う」「こう言う風に考えている」…
その人の中では、「ずっとそうだったから当たり前だと思っていた」かもしれないですが、他人にとっての当たり前ではないかもしれないんですよね。

今回は細胞談義として神経に注目しましたけど、実際には、その人の気分や健康状態、経験というものが感覚や感情に大きく影響を与えます。以前食べて信じられないくらいマズかったんだよな…っていうものを見たときにはオェってなるかもしれないです。一方で、美味しかった!という経験を持つ人からすれば、同じものを見てもよだれが出るかもしれないのです。

だから何事においても、一人一人がどう感じるかが一番大事だと思っています。
他人と比べてしまって自分の感覚に自信がなかったり、何か人間関係で思い違いとかすれ違いが生じてしまっても、そもそも感じ方って違うんだ、自分の感じ方や感情を大事にしておこう、と思い出していただけたら少し心が楽かなと思います。


あとがき

脳って面白いんです。認知という、人が何かを認識して理解するメカニズムには、まだまだたくさん謎が残されていて研究が進んでいます。脳は領域によって大体の機能が決まっていますけど、どこかが失われたり機能しなくても、他の部分がそれを補償するということができるんです。脳梗塞などで神経回路が一部失われてしまった場合でも、脳は必死でそれをカバーしようとする生命力があります。だから、リハビリに意味があるんですね。一生懸命脳を作り替えようとしている作業なんです。それ以外にも、視力が弱く生まれた人に聴覚や触覚の感覚が鋭いことがあるということも知られています。だから人間は意識せずとも、持ってる能力を最大限うまく使おうとしているんだなぁと感慨深く思います。

持っている能力という意味では、最近の神経科学の分野でホットトピックなのが、ブレインマシンインターフェースですね。カメラを脳につなげたり、思うだけで機械を動かしたりというような、脳の限界をテクノロジーで広げてやろう、付け加えてみようという試みです。これもとても面白いので、またどこかでご紹介できたらと思います。

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