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学問としての数学とは違う「数学的発想」とは | 考える不動産屋

若きウェブマーケッターとの対話

自分の人生において、圧倒的に足りなかったのは「数学的発想」だった…。

それに気付いたのが1月5日のこと。もうすぐ49歳になる私より22も若いウェブマーケッターのAさんと初めてサシ飲みしていたとき、彼によって気付かされたのです。

もちろん、数学は学生時代からとても苦手でした。いや、苦手というよりさっぱり理解できないと言ったほうがより正確かもしれません。もっと正直に言うと、その前に小学校の算数の時点で勉強について行けなくなった自覚があります。

ただ、それはもうよいのです。簡単な計算ができて電卓があれば生きてはいけるし、現に私は会社の社長さえ務めています。何も数学が人生に足りないと気付いたから、学問としての数学をこれからやり直さなければという話ではありません。

時々ある成功体験がもたらす盲点:理屈や理論だけで達成したヒットやホームランの罠

意識を持つべきなのは数字に強くなるとか、物事を数値化して考えようとかいうことではなく、「数学的発想」のほうだったのです。そもそも、数字に強くならなくちゃねなどとだけ考えていることが、理論と理屈に頼ることから抜け切れていない証左といえます。

その数学的発想を無くして、理屈や理論だけで物事を理解し、判断しようとするから私は「良いことをやっている割に成果が上がらない」や、「いったい何が合っているのかわからない」という人生の難民状態(それはそれで楽しんでいた面もあったから余計に始末が良くない)から抜けられずにいたのだなぁとつくづく気付かされたのでした。

自分で言うのも何ですが、行動力もあって弁も立つし、きまじめ。それに加えてアイデアマンで、それを実行するのが楽しくて苦にならないタイプ。バッターボックスに立って、バットを振り続けるからたまにヒットやホームランもあるわけです。

確率は低くても、時々ヒットやホームランがあったり、誰かから評価されたりという成功体験があると、自分の根本的な誤りに気が付きにくくなります。

「正しい解ばかりが増えていって、いつまでもイコールにならない」とは

要するに、理屈や理論だけで考えているうちは、「正しい解ばかりが増えていって、いつまでもイコールにならない」という状況から抜けられなくなるわけです。ここはめちゃくちゃ大事なところになります。

では、数学的発想で考えるとは具体的にどういうことか。それは方程式を用いるということです。その答えを正しいものとするための、公式にたどり着けるかということです。

たとえば、起業していちばん必要なことは売上を立てることになります。そのための方程式は次のとおりです。

売上=認知×クロージング

ウェブマーケッターのAさん

実はこれだけなのです。ところが多くの人は私をはじめとして、目的と手段を雑然ととらえてしまい、学びを深めて真剣に取り組めば取り組むほど、「正しい解ばかりが増えていって、いつまでもイコールにならない」という状況に陥ってしまうわけです。

正しい理論が増えるほど、本質を見失うリスクについて

その増えていく正しい解の中には、間違った認知やクロージングも多く混じっています。これが理屈や理論だけで考え過ぎると、「起業していちばん必要なことは売上を立てること」という“方程式の根本”さえ揺らぎ始めるのです。

「いやいや、そんなことはない。売上がほしいからがんばっているのだ!」と思うかもしれませんが、売上が立たないプレッシャーを和らげるために、効果のないマーケティング方法へ熱心に時間を費やしたり、気合いや根性などの精神論に逃げたりするのがその証拠といえるでしょう。

ただ闇雲に「睡眠時間を削って働いている自分」というのも、そうかもしれません。この時点でもう、実行している公式の答えは「売上を立てること」から別の何かに変わっています。

昨年の記事が暗示していた、数学的発想への気付きのきっかけ

「売上=認知×クロージング」というたった12文字。これをこの方程式としてとらえられずバラバラに考えている限り、自分に都合の良い“認知×クロージング”に、答え(売上)のほうを合わそうとするみたいな、おかしなことになってしまうわけです。

思えば昨年末、こんな記事を書いています。

「答え」ではなく「問題」を探す生き方のすすめ | 考える不動産屋

息子のような年齢のAさんが気付かせてくれた「方程式」に至る、伏線だったのかもしれません。2025年、私は50年近く掘り続けた洞窟の穴から光を得るための、とてつもない黄金の鍵を手にしたのかもしれません。

©阿部浩一@合同会社うんすい宅建

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