『モンキー・マン(原題)』:「演じたい役は自分で書け」を実現した復讐アクション
『Monkey Man』(2024)★★☆・。
IMDb | Rotten Tomatoes | Wikipedia
公開日:2024年4月3日(水)(北米)
公開日:未定(日本)
血とか汗とか涙とか、ヨダレとか。川の水とか、トイレの水とか、あとははらわたの汁?とか。いろんな液体が…たくさん…。
デヴ・パテルが主演し、脚本・監督としてもデビュー作となった本作のリビドーは、演者としてのパフォーマンスへの情熱が起点になっているのだろう。なにせ俳優が、演じたい役柄を自分で書き、自分がしっかりサマになるように監督しているわけだから。
凄まじいアクション、細い体躯を駆使した格闘、追いつ追われつのチェイス。手持ちのカットを多用しているあたりはだいぶ2000年代な印象もあるけど、物語そのものの勢いに合ってる。まさに激しさたぎる、いろんな液体がほとばしる復讐物語だ。
デヴのパフォーマンスと、初めてなのにこれだけ手の込んだ演出と編集を実現できているのが、この映画の何よりの見どころ。
なにせブツ撮りに次ぐブツ撮りで、大量のディテールが目に飛び込んでくる。アクションの痛々しさと迫力も、いちいちどう撮ったのか知りたくなるほどメーターが振り切れているし、どのショットも複雑に設計されている。ネオンが強めな光の使い方はあからさまだけれど、陰影ははっきりしていて作風に合っている。裏方の手腕を確かめるためだけでも見る価値はある。
ただ脚本に強度はない。辻褄は合わず、動機が理解できず、置いていかれる部分も少なくない。物語の軸を成すのがヒンズー教で、文化的に外様の人間から見ても恥ずかしげのない使い方をしているのも、気にはかかる。とはいえ、自身で執筆していることを考えれば、見上げたもの。
そもそもどの理屈も基本的には合わないのがわかると、文化・宗教的側面などもクソ喰らえなのだと思った方が割り切れる。とりあえず、インドでの公開は諦めた方がいいのだろう。それはインド系イギリス人のデヴ・パテルの素性と、この映画のマーケット戦略が気にすればいいことだから、観客である我々が気を揉むところではない。潔く放っておいて、行く末を見守ればいい。
なにせおよそ$10Mほどで作った映画も、現時点で全米$40M前後まで興行収入を収めている。アメリカ資本で作られて、元が取れているのなら十分、次へと繋げることはできるわけだし。上出来。
Netflixが「放送規定」「文化・宗教上のセンシティビティ」を気にするあまりこの作品を捨てて、代わりに『ゲット・アウト』のジョーダン・ピールがプロデュースに携わることになったのは、これだけの情熱が注がれた作品にとって幸せな巡り合わせだったろう。
参考までに、Rotten Tomatoesにて、そんなパテルとピールの対談動画がある。俳優出身で脚本、監督を手掛けることになった2人だからこそのリスペクトが感じられる会話だ。
果てしない殺戮へのリビドーは、十分に吐き出された。
あっぱれ初監督。主演、脚本、お見事。
(鑑賞日:2024年4月29日@19:50〜@Regal Edwards Mission Viejo)