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48. 吉田健一 英国の文学 岩波文庫
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昨年から英詩をめぐる読書が続いている。
現在の読書の中心は大江健三郎であることに変わりはないが、大江健三郎を突き動かしたブレイク、ダンテ、イェイツ、エリオットにひと通り関心を持ち、とりわけエリオットには、前に触れた深瀬基寛の一冊を手に入れたこともあり、強く惹かれた。
そのなかで「四つの四重奏」を西脇順三郎訳と岩波文庫版で読みつつ、原書でも読んでみたところ、翻訳で読むよりもシンプルに思えすっと入ってきたため、その三冊を手元に置きながら、自分なりに原文を日本語へ置き換えるということをしていた。
また先日の神田古本まつりで、持っているものより綺麗な西原克政「アメリカのライト・ヴァース」があり買い直して読み返したところ、やはり面白く、というより初読のときよりもよく理解できるようで、本のなかで触れられている新倉俊一「アメリカ詩入門」も購めて読み、そのどちらも原文が主体であるため、より英詩に傾いていった。
そのようにフロストやウィリアムズなどアメリカ詩をいくつか読むなかで、岩波文庫の「イギリス名詩選」も手に取ったところ、ますます対訳形式で詩を読むことが面白くなり、また詩を読む楽しみとは別に、イギリス文学が今までの読書とも繋がり、さらに深まり広がっていった。
それは、イギリス文学のことを実はよく知らないという意識のもと、ブルームズベリー・グループについても名前だけしか知らないことに思い至り、中公新書の橋口稔「ブルームズベリー・グループ ヴァネッサ、ヴァージニア姉妹とエリートたち」を読んだところ、吉田健一との関連が数多くあることを知った。
「交遊録」に出てくるディキンソン、よく言及のあるストレイチー、吉田健一を読むきっかけにもなった草光俊雄「明け方のホルン」のルパアト・ブルックなど、多くの知った名前を見て、あらためて吉田健一のイギリスやイギリス文学についての文章を読むことにした。
「交遊録」のディキンソンとルーカスの項や「英国に就て」、長谷川郁夫「吉田健一」のケンブリッジ留学から日本に帰るところまでを読み、そして、初めて吉田健一に触れた一冊である「英国の文学」をあらためて読んだ。
結局のところ、自分のイギリス文学の認識は、イギリスの田園風景への憧れとそれに対する感性への共感だと感じる。そしてそういったものはこれらの本の端々から読み解けるように、浪漫派の詩人たちによって形づくられたのだろう。
「英国の文学」浪漫派の詩の項を読むと、ブレイクからワーズワス、コールリッジへ、そしてバイロン、シェリー、キーツへと続く流れと、そこにあるシェイクスピアやミルトンの影についてなどが手に取るようにわかり、さらに引用されているシェリーのAdonaisからの一節、
The One remains, the many change and pass;
Heaven's light forever shines, Earth's shadows fly;
Life, like a dome of many-coloured glass, Stains the white radiance of Eternity,
Until Death tramples it to fragments. — Die,
If thou wouldst be with that which thou dost seek!
に非常な感銘を受け、岩波文庫の「対訳シェリー詩集」を読み、その解説で時代の背景や人の繋がりがよく解り、よりきちんと読み進めたくなった。
ただ、英詩を読むということは時間がかかり、このところ焦燥感ばかりが募っている。それは大江健三郎が「燃えあがる緑の木」を書き上げたあと、小説を書かないでいる期間のなかでR・S・トーマスの詩集と出会い、もう間に合わないかも知れないんだがな!と嘆きながら、
この新しい出会いをした詩人を読みとおす時間が、自分の人生に十分残されているだろうか?その思いに僕は脅やかされるようであった
と感じた気持ちと同様のもので、果たして自分にはこうやって興味を持った英詩をきちんと読むことができるのだろうかと感じている。
そんなとき、吉田健一の生前最後の著書である「思い出すままに」のなかの、
ただ一つの世界に遊ぶのを楽むというのは解るということと少しも矛盾するものでなくて解れば楽むことになり、既に楽んだならばそこから解るということまでは一歩である。
という一文に出会い、あらためて教えられたような気がした。まずはそのように焦らずにゆっくりと楽しんでいきたい。そうやってこの「英国の文学」についても何年かごしに本当の意味で接することができたのだから。
#本 #古本 #吉田健一 #大江健三郎 #シェリー