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2023年3月博士論文合格の報告書。
東京大学大学院工学系研究科の博士課程を修了し、無事に「博士(工学)」を取得いたしました。さまざまな形で応援いただいたみなさま、ありがとうございました。
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1. 学位取得のお知らせ
2021年の11月からこのマガジンを始め、連載回数15回以上にわたり、博士課程での生活について色々なことを報告してきた。迷ったこともあれば鬱になったこともあったし、楽しいこともあった。いろんな人と対話し、スタジアム研究したり能面の作品を作ったり色んな寄り道もした。無事に学位を取得できてひとまずは良かった。
タイトルは、『夢における空間論:待像の概念の提示を通した歴史における「VR的なもの」の分析およびVR利用がもたらす干渉の問題系の理解』。
夢とか待像の研究とは別に、VRやMRを建築設計でどう使えるか?という論文を全文査読で2本(修士で1本、博士で1本)書いていた。それに加えてMRをまちづくりの対話の場面でどう使えるかという観点から、もう1本全文査読の論文を書いた。この3本を合わせれば、特に問題なく博士は取れたと思う。それでも、その3本を捨てて、書き下ろしでもう1本書くことを選んだ。
この2つに加えて、まだ公開できていない共同研究のレポートがある。これも分量は多く、上記の2つと並ぶし、内容も遜色ない。だから3年間で約3本分の博士論文を書いたような、そんな感覚がある。でも首席は取れなかった。正直、それは悔しい。博士の間には、論考で賞を3つ取ったり、能面の集合住宅でコンペに入賞したり、他にもいくつかの企業でデザインの仕事をしたりPoCをしたりもした。それでも、もっとできたのではないかという悔しさが残る。客観的にみて、“それなり”にはやれたと思う。でももっと全てに注力できたはずだとも思うし、もっと自分を投げ出してやり切れたはずだとも思う。博士課程を終えて残ったのは、悔しさ。
あまりに多くの人に助けられた3年間だったけれど、自分自身はあまり成長できなかった。コロナ禍を言い訳にして、随分と甘えた気もする。コロナ禍と同時に博士課程が始まり、もらえるはずだった仕送りがなくなり、働くこととなった。混乱の余韻はまだ激しく続いていたし、自分も混乱していた。ほとんど3年間、それが続いた。小さなワンルームの部屋に篭り、研究を続けた。もう少しあとになれば、自分を認められるかもしれないけれど、もっと否定しているような気もする。
いろんなことに反省がある。学位記はもう過去の紙切れ、のような気すらする。コロナを言い訳にして、非常に頑張りの足りない3年間であったので、もう一度ゼロから頑張りたいと思う。今はそう考えている。
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2. 博士論文の主題「待像」についての記事
博士論文の主題は、『新建築』の2023年1月号に実は掲載されていた。その部分を引用してみたいと思う。
歴史の中にはさまざまなVR的なものが存在する。死後の世界を物理的に現実化し行動した極楽浄土の考えはVRの世界観と通じる。あるいは「市中の山居」として仮想空間を構築しようとした茶室もVR的と言えるかもしれない。躙口を通して視覚的な経験の連続性が断絶し、顔を上げると別世界にいる経験はHMDをかぶる瞬間と通じる。3cmの日本画である「方寸五百羅漢図」は小さすぎるが故、近付かねば見えず、周囲が見えなくなることで絵画世界に没入する。能ではしばしば幻視が起こる。
こうしたVR的なものを捉えるにあたり、僕は「待像(Waiting Realities)」という概念を掲げて研究している。これは想像と実像との三項で捉える概念である。絵画の絵は実像で、そこからいろいろと考えることは想像。しかしそれがまさにひとつの別のリアリティとしてみえ始めたら待像。HMDの歪んだ映像は実像で、そこに存在しない空間がみえる時それは待像となる。極楽浄土が本当にそこにあるように知覚されたらそれは待像。想像は不在を内的に志向するけれど、待像と実像は知覚できる点が異なる。それは別世的な「リアリティ」として経験される。
現代は多層化したリアリティの時代である。イヤホンやVR/MRなどはそれを示す。都市のそこかしこに待像が潜在している、と言えるかもしれない。歴史の中のVR的なものの発見と、現代のVRの捉え直し。待像はそのための鍵概念である。過去と未来を繋げることによってリアリティを複数化する営みの本質が浮かび上がってくる。それこそが現代の都市を本質的に理解することに繋がると考えている。
3. 建築情報学会ラウンド・セッションへの登壇
3月の初めに、立命館大学の北本先生にお声がけいただき、建築情報学会のシンポジウムに登壇した。東大のVR研究者である鳴海拓志先生、株式会社ホロラボの武仙さん、バーチャル建築家の番匠カンナさんとともにお呼ばれ。他の登壇者が豪華すぎて震えた。テーマは「ダンスする建築」。自由な議論で楽しかった。
色々と面白い話はあったけど、特に面白かったのは鳴海先生の作品である「Thermotaxis」。可愛い耳当てをみんなつけて歩き回ると、場所によって耳当てが暖かくなる場所があったり、冷たくなる場所があったりする。人は自然と冷たくなるのを避けるから、温度分布によって自然と人の行動が誘導できる。デザインの可愛さもさることながら、パーソナルな温度変化による人の誘導という視点を実装している点が面白かった。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tvrsj/15/3/15_KJ00007408711/_pdf/-char/ja
このセッション、YouTube Liveで放送されていたのだが、終わるとともに登壇者側のZoomも切れてしまった。登壇後の続きが話せなくて少し寂しかった。他の方々も同じ感覚であったようなので、これはいつかリベンジしたい。
4. 新しいお仕事のこと
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2025年3月に「夢における空間論」を書き上げるまで
旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…
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