⑤離島暮らしとアドレスホッパーを経験した夫婦がモンテッソーリ教師を志すまで(モンテッソーリ編・前編)
こんにちは!こはるぽんです!
(はじめましての方はぜひダイジェストからご覧ください!)
前回の④では、2022年に挑戦した「アドレスホッパー」という旅暮らしについてお届けしました。
そして今回は2023年の⑤モンテッソーリ編「子どもといのちについて学ぶ暮らし」をお送りします🌱
(ちょっと長くなりそうなので、前編・後編で分けました)
「モンテッソーリ教育って聞いたことある?」
2022年末。
こはるは当時リモートワークで勤めていた会社を翌月末には退職し、保育士に転職するつもりでした。
そしてまず自分の適性を確かめるため、1ヶ月間だけお試し保育士さんをさせてもらえる保育園を探していました。
出会いは、沖縄で訪れました。
アドレスホッパー生活で知り合ったある女性に、はるぽんが獲ったばかりのイノシシ肉をお裾分けした時のこと。(すべては繋がってるんだなぁ……)
👱♀️「──それならね、モンテッソーリ教育って聞いたことある?」
💁♀️「モンテッソーリ……名前だけ聞いたことあります!」
👱♀️「近所のモンテッソーリ保育園で、お友達が園長先生をやっているの。そこでひと月働けるか聞いてみようか?」
💁♀️「いいんですか!?ぜひお願いします!」
そして数日後には快諾のお返事をいただき、2ヶ月後から働けることに!
私たちは意気揚々と、モンテッソーリ教育について調べ始めました。
「これって…………」
それは調べれば調べるほど、私たちが大切にしたい価値観と根底で繋がっていることが、わかってきました。
「……まさに私たちがやりたかったことじゃん!!」
モンテッソーリ教育については、別の記事できちんとまとめたいと思いますが……簡単に言うと
「大人主導の画一的な教育ではなく、子ども一人ひとりが持つ自己教育力を信じる」
という点が、従来の集団教育と大きく異なっています。
日本では英才教育のように扱われることも多い(私たちも最初はそう思っていました)ですが、決して「子どもをエリート/〇〇な大人に育てあげる」ための教育法ではありません。
およそ120年前にイタリア人の女性医師マリア・モンテッソーリ博士が、子どもたちをひたすら観察し、子どもたちの発達ニーズに応えるため試行錯誤していったプロセスそのものが、「子どもがなりたい自分になれるように、大人は脇役として仕える」独自の教育法として確立していったのです。
(そのため、モンテッソーリ教育の先生は「教師」ではなく「ガイド」とも呼ばれるのですが、この記事のシリーズでは便宜上「モンテッソーリ教師」と表記しています)
二人とも、子どもに関わる仕事には以前から興味はありましたが、「人間一人ひとりが尊重される社会」で生きたいと思っていた私たちにとって、その社会を担う子どもたちの人格形成に携われる生業ほど、魅力的なものはありませんでした。
※ちなみにこれは「みんなが互いに関わり合わず、それぞれやりたいことをやっている社会」とはちょっと……いや、結構違います。この辺りもまた別の記事で書きたいと思います。
「子どもは大人の言うことではなく、大人のすることをする。」
これは、2020年にはるぽんが学童支援ボランティアをした際、職員の方から何度も聞かされた言葉でした(詳しくはこちら↓)。
モンテッソーリ教育でも、まさにこの考え方が重視されています。
子どもは「吸収する精神」の持ち主。
周囲の大人の振る舞いを“判断せずに”そのまま吸収して、蓄積し、自ら実践していく(=自己教育していく)存在です。
そのため大人は、例えばまだ自分で片付けや着替えを覚える前の段階の子ども達にも、“見たままをお手本として吸収できるよう”に、言葉ではなく、自然かつ気品ある動作を、ゆっくりと見せてゆくのです。
「今年は海外で2人とも、モンテッソーリ教師の資格を取ろう」
私たちはモンテッソーリメソッドの本質的な深みに魅せられ、(まだ働き始めてもいないのに🤣)モンテッソーリ教師の資格を取ることを自然と決めていました。
ただ、教師の資格は2週間のユーキャ◯通信教育で取れてしまうものから、学費は100〜200万円で1〜2年通学しないと取れないものまで、まさにピンキリ。
どうやらその最も難しく、パワフルな資格は、マリア・モンテッソーリ博士本人が設立した国際モンテッソーリ協会(AMI)の国際資格のようでした。
「せっかくなら、二人でAMIの国際資格を取っちゃって、そのまま海外でモンテッソーリ教師にチャレンジしてみよう!」
──東京を出た時に決めた「暮らしの幅を広げる3年間」という目標期間。
その3年目にして、ついに自分たちの歩んでいきたい道を見つけた私たち。
未経験にも関わらず、いきなり海外で最難関の資格を取るという途方もない挑戦を企てていたのでした🤣
モンテッソーリの教師資格は、対象となる子どもの年齢によって、0〜3歳 / 3〜6歳 / 6〜12歳 / 12〜18歳 / 18〜24歳 と分かれています。
こはるは赤ちゃんくらい、はるぽんは、ボランティアの経験もあって小学生くらいの子どもたちといる時に一番イキイキ過ごせる実感があったので、それぞれ0〜3歳と、6〜12歳児向けの資格を取ることにしました。
そして、その2つのAMI国際資格をなるべく同時期に、一緒に学べる場所を、AMIに登録された世界中のスクールからリサーチすることに。
「カナダは0〜3と6〜12どちらの資格も取れるし、何より英語圏だし、保育士の待遇も手厚いみたい。今年はカナダ行きがいいかもしれないね!」
期待に胸を膨らませながら二人でそんなことを話した2日後、ついにこはるの保育園勤務初日がやってきます。
(ここからはこはるがメインで書いていきます💁♀️)
2023年3月1日。
私はこの日付を、一生忘れることがないでしょう。
つい2ヶ月前にご縁をいただいたモンテッソーリ保育園での勤務初日の朝。
人生最大の緊張とワクワクで腹痛になりつつ出勤すると、「1〜2歳児16人のさくらんぼ組に行ってね」との通達が。(やったー!)
もうそこからは8時間、目まぐるしかったので記憶が曖昧ですが、開始30分で先輩保育士さんから注意されたことはよく覚えています。
「こはる先生、お水を飲むときは立ったままじゃなく、座ってください!子どもたちは本当によく見てるから、真似してしまうんですよ」
そうか、「子どもは大人の言うことではなく、大人のすることをする」という教えは、こんな風に実践するんだなあ……と、予習した内容をうっすら思い返しましたが、その足元でお漏らしする子がいて、それを拭いているうちに別の事件が起き・・と、本当にあっという間に1日が終わりました。
体は全身バキバキで、洋服はシミだらけで、もうヘトヘトだけど、とにかく世界がキラキラして、ものすごく楽しかったのです。
そして車で迎えにきてくれたはるぽんに、「ほいくえんたのしかった〜!」と、まるで園児側のような感想を伝えたのでした🤣
こうして、モンテッソーリ教師としてやっていくことに実感と自信を得た私たちは、カナダのモンテッソーリ教師養成所に、留学申請を送ることを決めたのでした。
ママが、肺がんのステージ4だって
2023年3月5日。
私はこの日付も、一生忘れられないでしょう。
保育園でのめくるめく勤務開始から数日後、初めての週末。
留学必要書類の確認を進めていたまさにその時に、
父から突然「大事な話があるのでビデオ通話しよう」と言う連絡が来ました。
──実は両親とは半年前に、史上最大の溝ができたばかりでした。
それは、
「こはるが万が一にでも死ぬことのないように、そして“マトモな人生”を送れるように、はるぽんが責任を持って守り養うべきだ」と主張する両親と、
「こはるは“マトモな人生”など望んではいないし、どれだけ安全な場所にいても人はいつ死んでしまうかわからない。だからこそ、抑え込んできた“自分の気持ちに正直に生きられる人生”をこはるが送れるように、守るのではなく支えたい」はるぽんとの間で起きた大喧嘩でした。
元々、私の両親とはるぽんの間には考え方や価値観の違いがありましたが、この時ほど大きくすれ違ったことはありませんでした。
それ以来私たち夫婦は、私の両親との間に距離をとっていたのでした。
久しぶりの連絡に少し身構えつつ通話を始めると、画面の向こうには憔悴しきった様子の両親が。
「ママが肺がんの末期かもしれない……。その場合、1年後の生存率は30%、5年後は8%だそうだ。1週間後に検査結果がはっきりわかる」
もう細かい数字も曖昧ですが、あまりに突然の話に通話を切った後、動揺して泣きながらはるぽんにその内容を伝えたことは覚えています。
「お母さんが治るまで、日本にいよう。こはるだけでも資格を取ろう」
はるぽんは泣いている私に、そう言ってくれました。
私の目指す0〜3歳の資格は日本でも取れるけれど、はるぽんの目指す6〜12歳の資格は海外でしか取れない……それを踏まえて、はるぽんは迷わずこんな言葉をかけてくれたのでした。
まさに、留学申請金を入金しようとしていたタイミングでの突然の出来事。
実は両親も東京から長野への移住を計画していて、新しい家の申込金を払うほんの数日前だったそうです。
それぞれ新しい人生に踏み出そうとした矢先……「今すべきことは別にある」というメッセージだったのかもしれません。
今振り返るとはるぽんは、母のがんが寛解することを心から信じて、ようやく見つけた自分の夢を、意識の外側に追いやることを決めていたのです。
はるぽんが、こころを病むようなどん底の数年からやっとの思いで抜け出して、ついに見つけた自分の道を犠牲にしてまで私に寄り添おうとしてくれた、その有り難み。
「死ぬことなどあってはならない」と自分を突っぱねた相手が"生きられるように"、できる限りのことをして力を貸すことを決めたはるぽんの覚悟の重み。
当時の私は、それらをちゃんと受け取る勇気が足りていなかったと思います。
翌日からは保育園勤務の2週目が始まり、暗い現実を追いやるかのように、目の前の子どもたちとの触れ合いに没頭することしかできませんでした。
その裏ではるぽんが、主夫として私の帰りを待つ間、どんな想いで過ごしていたのか、心を寄せることは全くできていませんでした。
──そして1週間後に検査結果が出て、母の肺がんの事実は確定してしまい、脳も含む全身への転移まで見られる状態ということがわかりました。
そのまま名護のビーチに夕日を見に行って、空っぽの心で海を眺めながら「どんな日もお腹はすくんだね」とはるぽんと話したことを覚えています。
モンテッソーリ教育に出会い、二人の人生でやっていきたいことが、ようやくわかったこと──
それは、初めて私たちの人生を強く、まぶしく照らしてくれた「陽」でした。
でも──ママが死んでしまうかもしれない。
それは、すれ違った親子の時間に時限爆弾を仕掛け、あらゆる可能性を瞬く間に奪っていった、おどろおどろしい「陰」なのでした。
後編に続く……