テイラー・スウィフト『ミス・アメリカーナ』とカニエ・ウェスト(現:ye)の『Watch jeen-yuhs: カニエ・ウェスト 3部作』を鑑賞した話
2009年のMTVビデオ・ミュージック・アワード。
最優秀女性ビデオ賞受賞スピーチをしていたテイラーに対し、突然マイクを奪ったカニエがビヨンセのほうが相応しいと主張。
この場面だけを見たわたしは「なんでそんなことをするのだろう」と思い、カニエの印象はとても悪くなった。
あれから何十年か経った2024年、テイラースウィフトが来日ライブをする。いい機会だと思ってNETFLIXで配信されているテイラースウィフトのドキュメンタリー『ミス・アメリカーナ』を鑑賞。
遠い存在であるスターでも等身大の悩みを持つのだということに親近感も湧いたし、困難があっても強くそして更新し続けるテイラーに刺激をもらった。
そのなかで2009年のMTVビデオ・ミュージック・アワードの問題シーンが流れていた。
授賞式後、とても悲しんでいるテイラーの様子を観て、カニエに対し憤りまで感じていた。
1つの情報だけでカニエの全てを非難するのはよくないと思い、同じくNETFLIXで配信されているカニエ・ウェスト(現:ye)の『Watch jeen-yuhs: カニエ・ウェスト 3部作』を鑑賞することにした。
そこにでてくるカニエはニュースで流れている横柄な態度から想像できない「夢を追いかける青年」だった。
名のあるアーティストに認められたカニエは有名プロデューサーへ。意外にも裏方からのデビュー。「プロデューサー」としか周囲に扱われないなか、本人はラッパーになるために奮闘していく。
大地のように心が広い母に支えられ、自分の曲を発信し続けるカニエにいつの間にか心を奪われていた。そして、最高のラッパーになったときは「なるべくしてなった」とさえ思った。
彼の才能は、音楽に留まらず自身のファッションブランドを設立するなど、世界で影響力を持つ一人となっていった。
そんな彼が大きく変化していったのは、誰からも求められず、批判されても「あなたはすごい」と言い続けた母が亡くなってからだろう。
ドキュメンタリーに描かれる彼はとんでもなく繊細でそして、自分の表現と向き合っている1人のアーティストだった。立場が変わっていくなかで、最初は純粋に「自分の音楽を届けたい」だったのが「自分の表現を通して人々に生き方を考えてほしい」と、視座が高くなっている。頂点に到達した者だけが見ることのできる景色を眺めているのだろう。
カニエの不適切な発言や行動を決して擁護している訳ではない。
ただ1人の天才をみて「天才は常人に理解できない境地」があるということ、でもその天才を「理解できない」で片づけて見捨てるのは違うということを伝えたくなった。
わたしは、縄文時代の暮らしや精神性を現代の視点だけでみているときは「理解できない」ことのほうが多かった。
「理解できない」のはわたしが「いま自分が持っている基準が正しい」と、どこかで思っていたからだろう。
自分を捨て、縄文人に近づきたいと思ったわたしは、スマホを置いて森の中で寝そべり、星を眺めることにした。
ひとっこひとりいない暗闇のなか遠くから聞こえる動物の声、風の音、草木の匂いをただただ身体全体で感じていた。
生きている。
無防備な人間として「生きている」
なんかそれだけでいいんじゃないかって、そのとき思えた。
これが縄文人に近づいたとは言えるかはわからないけれど、間違いなく「縄文人を理解しようとした」行動であるのは事実だ。
この世の中には「理解できない」ことのほうがたくさんある。
世界には80億人もいる。
宗教も文化もまるで違う。
自分の基準と照らし合わせると「理解できない」なんて当たり前。「全てを理解できる」と思っているほうがおこがましいのではないかとさえ思う。
だからこそ、「理解できない」から「近づいて」みたり「想像して」みたり、そうやって「理解できない」を楽しむそんな考え方があってもいいじゃない。
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