場面緘黙症の再発
森田療法のおかげで対人恐怖の症状が出る心のからくりを理解することができ、症状は落ち着いていきました。
相変わらずどこへ行っても私が一番おとなしくて、「おとなしいね」と言われ続ける人生でしたが、「人見知りがひどくて、、」「人が多いところが苦手で、、」などと自分から言えるようになり、おとなしい自分からかけ離れた、明るくノリのいいキャラを目指すという無謀なことはしなくなりました。
少しずつ、おとなしいなりにも、緊張しながらでも、話せば楽しい時間が過ごせる時もあることを知っていきました。
夫とは上の子が12歳の時に離婚しました。
うつ病真っ只中で、ただ実家を出たい一心だけで決めた結婚はうまくいかず、夫と同じ空間にいるだけで頭痛や動悸がするようになっていきました。
周りの刺激を受けすぎて疲れやすい私はパートも週3回が限界で、シングルマザーでやっていくことなど考えられませんでしたが、上の子が家事は私が全部やるから家を出ようと背中を押してくれたことで離婚を決意することができました。
離婚後、人生で初めて正社員になりました。
場面緘黙症の後遺症で就職するどころか、ただ生きていくだけで必死の人生だったので、30歳過ぎてやっと人並みに社会に出られたという気分でした。
正社員になったものの失敗ばかりで怒られて、30歳過ぎて職場で何回泣いたか分かりませんが、宣言通り上の子が家事をほとんどやってくれたおかげで、フルタイムで働くことができました。
離婚後5年が経った頃、マッチングアプリでシングルファザーと出会い、付き合うことになりました。
このnoteを読んでくださった人に、「男好きすぎるだろ!」と思われているかもしれませんが、子供たちとの関係がどんなに良好でも、ママ友が何人できても、いつも孤独な気持ちは消えないままでした。
孤独感は、母との関係がうまく築けなかったことや、友達にいつまでも緊張が抜けないことを不審がられるのが怖くて、一年ぐらい経つと自分から関係を絶ってしまい、結局一人になってしまうことから来ていると思います。
異性は分かりやすく好意を示してくれるから、何を話しても拒否されないという安心感を持つことができて、付き合うことになった人相手なら、緊張せずに話せるのでした。
そのせいで好きでもない男性と付き合ったり結婚したりして散々な目に遭ってきたのにまだ懲りないのかと自分が嫌になりましたが、アプリで出会った男性は初めて心から好きになれました。
小さな会社を経営している人だったので、彼の会社に転職し、事務兼接客スタッフとして働くようになりました。
お互いの子供が巣立った後にはなりますが、再婚も視野に入れて、やっと幸せになれる!と思った矢先に、30代後半で場面緘黙症が再発してしまったのです。
その彼の会社に私の席を作るスペースがなかったために、会社の一番奥の、さらに間仕切りで隠れた物置きスペースに席を作ってもらいました。
席に座ってパソコンに向かうと、そこに私が座っていることが誰にも分からない状態になるスペースでした。
会社の一角に店舗もあったので、お客さんの出入りも頻繁にありました。
ほかの職員は席に座ったまま「いらっしゃいませ〜」とお客さんに笑顔を向けることができましたが、私は立ち上がって間仕切りから顔を出さなければ、お客さんが入ってきたことも分からない席でした。
一番下っぱだし、お客さんや商品のことを覚えるために、間仕切りから顔を出し、お客さんのもとへ向かわなければならなかったのですが、対人緊張が強い私には会社の一番奥から顔を出したり、お客さんのもとに向かうことはとてもハードルが高いことでした。
なかなか立ち上がれずにいる私の気配に気づいて間仕切りの中を覗いたお客さんに「こんなところに人がいた!」と驚かれたり、顔を出したら出したで驚かれたりして、だんだん席から立ち上がれなくなっていきました。
今考えたら、それを繰り返してお客さんに覚えてもらうしかなく、驚かれるのも最初のうちなのに、場面緘黙症時代の緘動という動けなくなる症状が蘇り、間仕切りの外に出ることが怖くてたまらなくなっていきました。
商品のことも分からないので、電話に出ても「おたく以外だったら誰でもいいから早く代わって!」と怒鳴られたことで怖くなってしまい、電話にも出られなくなっていきました。
でももう30代後半。場面緘黙症で苦しんでいた頃とは違う。
一人で子供も育ててきて、今さらこんなことで挫けるなんてありえない。子供たちを育てていくために、そして将来的に社長の奥さんとして会社を切り盛りしていかなければと、症状が出てしまう自分を責めまくりました。
もう場面緘黙症は完全に克服したと思い込んでいた私は、この歳で動けない、話せない症状が再発したことが、地獄に叩き落とされたかのようにショックで、うつ病も再発させてしまったのでした。
出社も出来なくなり、しばらく彼に金銭的な援助を受けました(母子手当は受けていません)。
森田療法は頭で分かった気になっていただけで、全く体得できていなかったのでした。
次回はその後、再び森田療法を学び直し、体得していったことを書きたいと思います。