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タレイア・クァルテットのバルトーク@武蔵野市民文化会館小ホール
22日、武蔵野市民文化会館小ホールで、タレイア・クァルテットのバルトークを聴いた。
B.バルトーク:弦楽四重奏曲 第1番 BB52
B.バルトーク:弦楽四重奏曲 第3番 BB93
<休憩20分(予定)>
B.バルトーク:弦楽四重奏曲 第5番 BB110
<休憩60分(予定)>
B.バルトーク:弦楽四重奏曲 第2番 BB75
B.バルトーク:弦楽四重奏曲 第4番 BB95
<休憩20分(予定)>
B.バルトーク:弦楽四重奏曲 第6番 BB119
タレイア・クァルテット
山田香子(第1ヴァイオリン)
二村裕美(第2ヴァイオリン)
渡部咲耶(ヴィオラ)
石崎美雨(チェロ)
バルトークの弦楽四重奏曲全6曲という破格のボリュームで、チケット代は1000円という武蔵野でしかありえないコンサートだったが、私は第1番と第3番を聴いたら疲れを感じ、休憩中に帰った。
喉や身体が本調子でなかったのもあるが、聴いていて単調に感じる音楽だったのもある。2曲聴いたらお腹いっぱいになってしまったのだ。
私は弦楽四重奏を生で聴いたことが極端に少ない。
アルバン・ベルクQやモザイクQのチケットを取ったこともあったが体調不良で行けず、行けたのは古典四重奏団のハイドン(1回)とショスタコーヴィチ(2回)だけ。
古典四重奏団は毎回暗譜で演奏する異色の弦楽四重奏団。言わばそこまで曲を身体に刻み込んで本番に臨むのだが、普通はそこまでやらないので、古典四重奏団と比べてどうこう語るのはおかしいのかも。
バルトークの弦楽四重奏曲は定評のあるタカーチQの全集を持っている。長いこと聴き返していないが、バルトークの弦楽四重奏曲はハイドン、ベートーヴェン、ショスタコーヴィチら弦楽四重奏曲の大作曲家の系譜にある傑作であろうから、いつか生で聴きたいと願っていた。
しかし実際に聴いてみると、抑揚がなく単調に感じてしまう。
オーケストラやオペラ、ピアノでは感じないことだが、弦楽四重奏だと色彩感に欠けて感じてしまうのもある(古典四重奏団にしても若干そのきらいはあった)。
アグレッシブな楽想もそれと反対の場面があってこそ引き立つものだと思うが、テンションの高い演奏が持続して、一方的に声高に話す人の話を聞き続けているようで疲れてしまった。
その一方、演奏に厳しさが欠けているような印象も受け、緊張感を保つのが難しかった。
武蔵野市民文化会館小ホールは舞台のすぐ奥にパイプオルガンがあり、モノリスのような迫力で鎮座している。
クン・ウー・パイクのモーツァルトのときはその“モノリス”が高山の峰のように見え、音楽の印象と相俟ってブルックナー的スケールを感じさせた。
今回のバルトークは別世界に連れて行かれるような雰囲気ではなかったが、単に私がバルトークに明るくないからかもしれない。
せっかく全曲聴けるチャンスなのに3分の1で帰ってしまうのはもったいない話だが、そもそも行けるかどうか微妙な体調であったし、2曲聴けただけでも御の字だ。
なお、このコンサートでは、席の移動をしたおっさんが休憩中に他のお客を注意してたが(演奏中の物音について)、席を移る方が完全なルール違反ですからね。
「人の振り見て我が振り直せ」とはこのこと。他人に目くじら立てる前に、自分の振る舞いを見直した方がいい。
誰しも「自分のしてること、言ってることは正しい。間違ってない」と思い込んでるもの。
自分を疑うことの大切さをおっさんに教わりました。
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