高田泰治のゴルトベルクと携帯のなかった時代の思い出
コンサート
東京文化会館小ホールで高田泰治のゴルトベルク変奏曲を聴いてきた。
高田泰治は7月の平均律第2巻で魅了された。
そのときの感想はこちら。
年末のゴルトベルクは毎年恒例のようで楽しみにしていた。
結論から言うと、平均律のときの方が高田さんのコンディションがよかったように感じた。
今回はナーバスに感じる箇所、弾き方が荒く感じられる場面、フレーズの扱いが雑に感じられる場面がときどきあった。
ナーバスに感じられたのは客席の雑音が多すぎたせいもあるだろう。
鈴が鳴ったり、ガザガザ音、激しい咳、飴の包み紙、鼻息。
お世辞にもマナーが良いとは言えなかった。
「客席内での写真撮影は固くお断りします」という注意喚起のアナウンスが開演前に2回、休憩中に1回。
さすがに多いだろと思ったが、終演後チェンバロを撮影してる人だかりができてたので呆気にとられた。
頭が悪いのか、性格が悪いのか…😓
日本テレマン協会のコンサートは3回目だが、毎回年齢層が高い。
今後さらに高齢化社会になり、サントリーホールに看護師が常駐する日も近いのでは?と思った😂
第15変奏の後で休憩が入るのは一般的ではあるが、プログラムやロビーで案内があった方がよかった。
前半はチェンバロの音色(調律:梅岡俊彦)とフレージングが美しくて、目を閉じて夢見心地で聴いていた。
しかし前半の最後の方や後半になると、そうした陶酔的なカンタービレにあえて背を向けるような鋭角的なタッチも多々あり、気持ちよく浸って聴くという感じではなかった。
何というか、全曲通してムラを感じた。一つの大きな流れに身を委ねられないもどかしさがあった。
内省ムードの長大な第25変奏もインテンポでやけにあっさり。
もう少しエモーショナルにやってもよかったような。
ブランデンブルク協奏曲第3番の第2楽章のような「つなぎ」の音楽に聴こえてしまった。
装飾音は平均律のときは特別気にならなかったが、今回は浮き立って聴こえた。
ベタというのか、懐メロ調というのか、バッハの無駄のない音楽に無駄な装飾音が追加されている印象もあった。
高田さんは生真面目な風貌だが、今日はナーバスに見えなくもなかった。
会場の雰囲気がそうさせてしまったのかも。平均律やブランデンブルクのときよりコンディション悪かったのかな?と思ってしまった。
まさかのアンコールが。
平均律第1巻の有名なプレリュード。
ゴルトベルクのアリアが重たい(深い)曲なので、マチネーらしく最後に軽快で明るい曲を用意したのかもしれない。
プレリュードは7月に聴いたときの印象そのままの誠実さで、背筋の伸びた清々しさがあった。
ゴルトベルク変奏曲の思い出
「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明監督がテレビシリーズの次に監督したアニメが津田雅美原作の「彼氏彼女の事情」(通称:カレカノ)。
秀逸なラブコメでしたね(アニメは後半失速気味に感じましたが)。
漫画も全巻買って読みました。
そのカレカノで主人公の夢のシーンがあって、ゴルトベルク変奏曲のアリアが流れたんです。
でも、当時の私はバッハの曲ということも知りませんでした。
放送が1998年10月〜、私が初めてクラシックコンサートに行ったのが1997年の7月なので、『レコード芸術』や宇野功芳の書籍を読み始めたころの話です。
バッハどころか、バロックとは夢にも思いませんでした。
まだ携帯を持つ前です。PHSを使っていた時代(18歳)です。
当然今のように検索できないから、手持ちのCDをいろいろ聴き返したように思います。
最初、サティかな?と思いました。
ジムノペディに似てるって思ったんでしょうね笑
サティ? ショパン? シューマン?
バッハとはまったく思ってなかったです。
わからないので、アニメを放送していたテレビ東京に電話したら製作会社のガイナックスの電話番号を教わり、ガイナックスにかけたら調べてくれて「バッハのゴルトベルク変奏曲のアリア」と教えてくれました。
バッハと知ったときはびっくりしましたね。
へぇー!こんなロマンティックな曲も書いてるんだ!って。
ちなみに「インヴェンション第8番」もカレカノで使われてました。
庵野さんクラシックも詳しいですもんね。
今ではテレビ局に問い合わせの電話をする必要はなくなりました。
ググれば何でもわかる時代です笑
携帯電話がなかったころの暮らしなんて、いまの若い人には想像できないでしょうね。
ラブストーリーは障壁がないと成り立ちません。
難病や障害ではなく、現代の青年が携帯のなかった時代にタイムスリップして、その時代の女の子に恋する話とかあったら見たいです。
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