大人の芸とそうでないもの ヴァイグレ/読響のワーグナー、R・シュトラウス
サントリーホールで、読響定期を聴いた。
指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ヴァイオリン=ダニエル・ロザコヴィッチ
ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
ロザコヴィッチへの不満
先に悪口を😅
今夜一番拍手が大きかったのはベートーヴェン。
ブラボーもよく飛んでたけど、私はまったくいいと思わなかった。
青木尚佳ならどんなに感動的だっただろうか!
ワーグナーでも感じたけど、ヴァイグレの芸風は超本格。
「ドイツ風」という死語になりかけた言葉を思い出した。
ワーグナーなんて、朝比奈のベートーヴェンの空気を感じさせて思わず涙が🥲
反対に、弱冠22歳ロザコヴィッチは表現がわざとらしい。
弱音かつスローテンポで弾けば深い音楽になるって思ってない?😅
この曲の解釈はいろいろあってよいが、例えばグリュミオーの場合、まず音色が美しい。そして歌い回しが王道的で、正統派。
この曲は第1楽章がやたらと長いので、長丁場を飽きさせないだけの音の美しさが必須だと思う。
ロザコヴィッチは弓を弦に押しつけて弾いているように見えた。
音が擦れて聴こえるようで、最初から最後まで美音とは感じなかった。
とはいえ、今までこの曲の演奏で聴いたことのない弱音パッセージが頻出し、会場のお客さんが息を呑んで耳を澄ます光景はなかなか見られないものだった。
しかし、私にはロザコヴィッチの弱音表現が恣意的に感じられて仕方なかった。
楽譜通りに弾いてくれ、とは言わないが、「ベートーヴェンの通俗曲もオレの解釈次第で深みが出るだろ?」と言わんばかりの態度に見えたからである。
言うなればドヤ顔、鹿島茂の言う「ドーダ」というやつかもしれない。
ロザコヴィッチの解釈ばかりが前面に感じられ、肝心のベートーヴェンの音楽の美しさが感じられない。
「ロザコヴィッチのベートーヴェン」って感じ。
そういう意味では「個性的」な演奏なのは間違いないが、私は面白いとは思わなかった。
冒頭のティンパニ(武藤さん?)からよかったし、往年の巨匠を思わせる厚みと温かみのある伴奏はカラヤンやベームを思わせた。
今週末に「田園」をやるから、ベームの「田園」が好きな方は行った方がいい😅
ヴァイグレの演奏が王道とすれば、ロザコヴィッチの演奏は邪道。
悪い意味ではなく、いわゆる鬼才とか、そっち側の路線(そんな才気は感じなかったが、あくまで路線の話)。
だから、グザヴィエ=ロトやクルレンツィスといった鬼才系の指揮者なら相性ばっちりだったかもしれないが、ヴァイグレとは水と油だった。
ヴァイグレが太陽なら、ロザコヴィッチは雪の中を裸身で踊るバレエダンサー。まったく表現したい世界が違って見えた。
とはいえ、協奏曲はソリストのもの、というのが正しいと思う。
ヴァイグレはロザコヴィッチの好きなようにやらせていた。
「オレも二十歳のときはヤンチャしてたもんだ……」という心の声が聞こえたような😅
アンコールのバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番第1楽章はさらにひどかった。
アンコールが始まった瞬間、バッハ⁉︎と思わされた。
芸のない選曲だなぁと😓
先日の辻彩奈は、ギル・シャハムのリサイタルで彼女が聴いて一目惚れしたアンコール曲を弾いていた。
わざわざギル・シャハムに頼んで楽譜を送ってもらったらしい。
ヴァイオリニストはアンコールで安易にバッハを弾きすぎる!
弾くなら無伴奏リサイタルで披露するくらい入念に準備したものを弾いてくれ😓
ヒラリー・ハーンや庄司紗矢香レベルの精神の深みを22歳に期待するのが筋違いなのかもしれないが、苦労知らずのお金持ちの息子が「これくらい楽勝っしょ」とばかりに弾いてる風情で、ロシアのウクライナ侵攻時にプレトニョフが「わが祖国」のアンコールで披露した「G線上のアリア」に匹敵する薄っぺらさだった。
ヴァイグレ讃
さて、不満はこれくらいにして、初めて聴いたヴァイグレは予想をはるかに上回る素晴らしさだった。
オケの音色が渋い!
ヴァイグレが音楽監督になって、あと20年30年読響を指揮すれば、さらに響きが深化して、神がかり的な繊細なピアニシモを奏でる楽団になるだろうと感じさせた。
いまはオケの常任が変わりすぎる。前任のカンブルランはフランス人だったし、ドイツ人のヴァイグレの次がイタリア人とかになったら、オケの能力は向上してもサウンドはインターナショナルで無個性なものになるのではないか。
一つの固有の音色を作りあげるには、指揮者とオーケストラの長い歳月が必要ではないだろうか。
ヴァイグレは貫禄十分。長年フランクフルト歌劇場の音楽総監督を務めた経験は並大抵のものではない。
オペラを1曲振って得る経験値って、マーラーやブルックナーを数曲振るより大きいのではないだろうか。
日本の指揮者はもっと海外に出てオペラの修業をすべきかもしれない。
「リエンツィ序曲」はまるでニューイヤーの曲かと思うような華やかさが随所にあり、オーケストラをダイナミックにドライブするヴァイグレの才気を存分に堪能できた。
この曲を聴けただけでも来た甲斐があったと思った。
さて、後半はR・シュトラウスだが、私はこの作曲家があまり得意ではない。
好きな曲がないに等しい。あえて言えば「メタモルフォーゼン」くらいか?
「ツァラトゥストラはかく語りき」も昔カラヤン盤で1回聴いたくらいで、多分いまはCDすら1枚も持っていない。
パイプオルガンや鐘がある曲ということすら知らなかったので大した感想は書けないが、いたく感動した。
ヴァイグレの指揮は声部がクリアーに浮かび上がり、団子やカオスになることがない。
何度も引き合いに出してアレだが、久石譲のマーラーでは第2楽章・第3楽章の声部が団子になっていてカオスだった。
「ツァラトゥストラ」も指揮者がきっちり振れないと、声部が重なり合って大音響のカオスになりかねないが、ヴァイグレは大迫力の中にも緻密な繊細さを感じさせた。
また、演奏の流れにメリハリが利いていて、単調に感じることがない。
コンマスの林悠介さんは細身でメガネの学者風。
コンマスというともっと前に出たがる感じの人が多いが、独奏部の弾き方や音量がオーケストラと絶妙に溶け合っていた。
そう、オーケストラとの協奏はこうあってほしい。
林さんがベートーヴェンも弾けばよかったのだ。
ヴァイグレのマーラーやブルックナーを聴いてみたいと思った。
ラストは繊細な弱音がホールに吸い込まれ、間延びしてもったいぶった静寂ではなく、意味のある静寂の余韻が格別だった。
拍手は、ロザコヴィッチに比べると7割くらいの熱量だった。
お客さん、あんまり満足しなかったのだろうか? 隣のおじさんもそれほど拍手していなかった。
一人ずつ奏者を立たせたヴァイグレだったが、パイプオルガン奏者の女性を立たせるのを忘れてしまい、最後に退場する段になってあわてて彼女を指差し、お詫びのつもりか投げキッスを送っていた。
その色男ぶりはまるでピアース・ブロスナン。
ジェームズ・ボンドか⁉︎と思ってしまった😅
R・シュトラウスのカーテンコールで、楽団員がヴァイグレに拍手していた。
定期演奏会で常任指揮者に拍手するって珍しくないだろうか。
それだけ楽団員にとっても会心の出来だったのではないか。
私には今夜のベートーヴェンと、ワーグナー&R・シュトラウスでは、芸術の深みがまるで違って聴こえた。