「みんな一緒で安心」から飛び出し、自分を生きる
最近また哲学を齧っています。
哲学者によって「自由」の捉え方がそれぞれ違っていて面白いんですが、今回はハイデガーの「自由」が現代人に当てはまるなあと思ったので紹介します。
例えばサラリーマンは、同じ服装で同じ時間に会社に向かい、同じような仕事をして同じくらいの給料をもらい、休日の過ごし方も何パターンかあるとはいえ、大体同じような枠に収まってしまいます。
これは「同質化」であり「没個性」であり、誰かが抜けても同じような別の誰かが入れば代替できてしまう集団と言えます。
人はこの「多数派の何かに同化する」ことに安心感を覚えるんですね。
学生、仲良しグループ、村などもそうで、入った集団に染まるのは個性を失うことなのに、「みんな一緒」で共感できるし、仲間がいた方が居心地いいし、楽だからまあいいか…と本来の自分を封印してしまうんです。
そして、いざ死期が近づいた時に気づくんです。
「私の人生、誰かに合わせてばかりだったな…
もっと自分らしく生きればよかった」と。
「みんなと一緒」は心地いいように見えて実は、個性や主体性に蓋をして集団のルールに合わせた不自由な状態です。
ハイデガーは、死へ向かう自分を意識し「私の人生、このままみんなと一緒でいいの?」という不安と向き合うことで、かりそめの安心から抜け出し本来の自分の人生を選んでいくことを自由と呼んでいるんですね。
そうやってみると、働く時間も服装も場所も道具もがっちり決められているサラリーマンなんて、不自由そのものですよね。
誰かがいいと言ったものにすぐ飛びつく人、流行りを追いかけている人も、カメレオンのようにコピーをしているだけなので主体性はゼロです。
安易に「みんなと一緒」に流されず、自分の基準をしっかり持つことが、自分を生きるということなのかなと思います。自分軸というやつですね。
私も会社員なので、本当は労働時間をもっと減らしたいしやりたいことがたくさんあるのに、その安定感から抜け出せないところがあります。
これからの時代は多様性や個性が尊重され、同質化した集団から出て行きやすくなると思うので、じゃんじゃんはみ出して行こうと思います 笑
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