カレーと脚気

カレーのお話。



海軍カレーというのがありますね。海軍では戦前からカレーがメニューによく出ました。カレーの発端は諸説ありまして、有力なのはインド南部ゴアを拠点にしたポルトガルがインド南部のある種の料理、ないしは「汁物」という単語を勘違いして「カリル」としてヨーロッパに伝え、かなり後になってインドを植民地にしたイギリスがインドの香辛料を多用する料理をイギリスに持ち込んでcurryと読んだという経緯をたどったという話なんですが、それがどうやって日本に持ち込まれたかというのもまた諸説あります。新宿の中村屋にインド革命家のインドラボーズがかくまわれたとき彼がインドのレシピを伝えたというのも面白い逸話だし、それは多分事実なんでしょう。



しかしここでは医者として医療に絡めた話をします。



脚気。最近の医者はめったに経験しません。たまたま去年の夏、奥さんをなくした人が失意からものを食わなくなり、3か月以上ほとんどまともに飯を食わず酒だけ飲んでいたら具合が悪くなったと言って息子さんが当院に担ぎ込んできました。今年60になる私も脚気なんかめったに見たことはないのですが、3か月以上ろくに飯を食っていないというのでビタミンB群を含めた採血をしたのです。そうしたら、明らかにビタミンB1が不足していました。かなり低い価でした。そしてその人は心不全になっていたので、近くの病院の循環器科に「このような採血結果です」とデータを付けて送ったのです。そうしたら対応した循環器科医がまだ若くて、脚気というものを見たことがなかったようで、「心エコーをやりましたが中等度の心不全だから、利尿剤を処方して帰しました」と言うわけ。私は飛び上がってその人の息子さんに電話して、「あっちからこういう返事が来たがお父さんどうなってますか?」と聞いたんです。そうしたら、「あの病院から貰った薬を飲ませていますが日に日に具合が悪くなっているようです」と。すぐ連れてきなさいと言って連れてこさせたら、外来でいきなりどかんと血圧低下。「ショック」という緊急事態です。大急ぎで石巻赤十字に救急搬送しました。



飯をろくに食わず3か月以上過ごしたため、その人は脚気になり、さらには脚気(Beriberi)に伴い心不全、つまり脚気心(Beriberi heart)になっていたわけです。現代でもこういう脚気の患者さんというのは、たまにいます。



それでですね。明治時代、日本軍の悩みの種が脚気だったのです。海外に出兵すると、兵士がみんな脚気にかかり、戦争どころじゃないって訳です。これをどうにかしないといけないとなったとき、森鴎外、医者としては森倫太郎ですが、彼と高木兼寬という海軍軍医の間で論争になりました。森はドイツ医学を学んだのです。ドイツ医学は当時最先端でしたが、実験医学が主体でした。コッホが細菌を発見した、なんてのが当時の話。森はそれを学んで帰ってきたから、脚気はなんらかの感染症であろうと主張したわけ。脚気の病原体を見つけるべきだと言った。



それに公然と異を唱えたのが海軍軍医高木兼寬でした。高木はイギリスに留学した人です。イギリス医学は当時から、臨床を重視していました。患者の容態を観察し、その生活習慣や居住環境を調べて病気を理解しようとしたのです。



脚気は江戸時代からよく知られた疾患でしたが、その当時別名「江戸病」と呼ばれていました。参勤交代で武士が江戸に来ると脚気になり、藩に戻ると治るというのはよく知られていたのです。それに加え高木は日本海軍では脚気が起きるのに、イギリス海軍では起きていない、と言うことに着目しました。そこで彼は「これは感染症では無い。なにか食事によるものだろう」と主張したのです。



森倫太郎は陸軍軍医、高木兼寬は海軍医ですから、この論争は陸軍対海軍の論争になってしまいました(当時空軍はなかった)。そこで高木兼寬は大胆な臨床研究をやったのです。遠洋航海に出た海軍艦船を2群に分け、片方は食事にイギリス式に肉を取り入れました。もう片方は従来通り日本食にしたのです。そうしたら結果は見事に別れました。肉を食わせた艦船では脚気は激減したのに、従来通り日本食を食わせた艦船では脚気が頻発したのです。



後になって脚気の原因がビタミンB1欠乏だという事が分かったのですが、この「森・高木論争」の頃はまだそれは分かりませんでした。それで、この結果が出てもなお森は脚気感染症説を捨てなかったのですが、海軍はさっさと高木の説を取り入れ、兵士に肉を食わせたのです。このとき、兵士に肉を安価に、大量に食わせる方法として考え出されたのがカレーだった、という説があります。これまで書いた脚気に関する森・高木論争はちゃんと資料があり、証明されていますが、そこで将兵に肉を食わせるために海軍がカレーを思いついたというのは、それほど明らかな資料は残っていません。いろいろな人がそういっている、ということです。しかしそもそも高木医師がイギリスに留学して医学を学んだ人であり、当時イギリスでカレーが一般的であったことを考えれば、この説の信憑性はそれなりに高いと思います。



因みにここから先は余談ですが、当時イギリスでカレーが広まったのは、インドで一儲けした連中がイギリスに戻り、インド時代を懐かしんで食したそうです。当時こういう連中をgentlemanと言いました。紳士と訳されますが、この連中はお世辞にも紳士ではなかったのです。植民地で一儲けして本国に帰ってきた連中ですから。その頃イギリスでは週の初めに牛を潰し、それを一週間掛けて色々とやって食ったんだそうです。しかしイギリスって、食い物は「ああいうもの」ですから、牛を一週間食べるとなるとさすがのイギリス人も苦慮した。それで「カレーにする」ということが広まったんだそうですが、まあこの辺はお話として受け取ってください。私もとある本で又聞きならぬ又読みしただけですから、真偽の程はあまり保証しません。

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