(069) むしろアドラーは反「自己啓発」だと思うよ。その理由。
2020年8月24日(月)
前回の記事「アドラーが「自己啓発の源流」だなんて誰が言っているの?」では、「本当の自分を探す」という意味での自己啓発は、アドラーよりもユングが近いので、「自己啓発の源流」の称号はユングにあげたいと主張しました。
・後期近代の「自己啓発」とはどんな運動なのか
それにしても「自己啓発」というのは、アドラー、ユングの頃から100年も経ってもなお、流行的なうねりはあるものの、継続しています。しかも、日本だけではなく、世界中で起こっているということなんですね。「自己啓発」運動とは一体なんなのか、興味が湧いてきます。
これについて、牧野智和『自己啓発の時代』(勁草書房, 2012)の「第1章「自己」の文化社会学に向けて」に解説があります。簡単にまとめると以下のようです。
・近代社会では伝統的共同体内部で保持されてきた慣習や伝統が、近代国家の介入や科学的知識の浸透、ヒト・モノ・情報の流動性上昇等によって相対化され、吟味されるようになる(p.9)
・これを「脱埋め込み」と呼ぶ(ギデンズ)
・そうすると、人々は、自らを振り返り、問い直す反省的志向の保持を通して、自己をたえず更生し直さざるを得ない(p.11)
・これを「自己の再帰的 (reflexive) プロジェクト」(ギデンズ)、「アイデンティティゼーション」(メルッチ)と呼ぶ
(ギデンズの再帰性概念についてはこのサイトがわかりやすい)
・そうなると、無垢な「本当の自分」を探そうとして内的世界を探求する行為が過熱する
・そのために、自分自身を管理、変革、治療の対象とするような心理療法的技術が使われた
・この技術を「自己のテクノロジー」と呼ぶ(フーコー、ローズ)
アドラーの頃、前期近代ではこの伝統的共同体からの「脱埋め込み」が急速に進んでいったはず。そうなると、自分が何者なのか、あるいは社会の中でどういった位置を占めるのかについて考えざるをえなくなる。それを心理療法的技術を使って探そうとする。それが自己啓発運動だということですね。
さらに言えば、だから今この時代の特徴は「心理主義化された社会」なのです。自分とは何かということをある種の心理的技術を使って探そうとすること(自己の再帰的プロジェクト)を多くの人がしている。そういう時代なのです。働く人のマインドフルネス、就活の自己分析、心理学(特に臨床心理学)を学ぼうという人たちの増加、すべて心理主義化された社会の現れだと捉えることができます。
・「自己のテクノロジー」のしくみ
自分自身を管理、変革、治療の対象とするような心理療法的技術をフーコーは「自己のテクノロジー」と呼びました。これについても牧野(2012:14-15)は以下のように紹介しています。
・「倫理的素材」:自分自身のどの部分と向き合い、自己実践の素材とするか(例:行動、習慣、感情、肉欲、不安やコンプレックスの認識)
・「服従化の様式」:どのような様式や権威に基づくか(例:教会、専門家、偉人、道徳律)
・「倫理的作業」:どのような手続きを通して自分に働きかけるか(例:思考の精査、日記をつける、生活習慣を改善する)=自己のテクノロジー
・「目的論」:自己実践を通して、どのような存在様式を最終的に目指すのか(例:成功者、自分自身の修養、本当の自分の発見、より高次の存在との一体化)
(以上でいう「倫理的」とは「自己の自己との関係」のこと)
この枠組みは便利です。たとえば以前取り上げた「ビジネス系ユーチューバー」の事例をこれに当てはめてみると次のようになります。
・「倫理的素材」:(惰性で続けている)行動と考え方、(変わらない)仕事と生活
・「服従化の様式」:うまくいかなかった体験を持ち、でも努力して成功した自分とその成功原理
・「倫理的作業」:生活習慣を変える、コツコツ積み上げる、仕組みを知る、本を読む、スキルを身につける
・「目的論」:ビジネス的成功、縛られない生き方、なりたい自分になる
なんだかすっきりと切り分けられますね。社会学、すごいです!
・アドラー心理学は自己啓発とは全く別の道を進んでいる
さて、こんなふうに「自己啓発」の歴史を見てみると、アドラーが自己啓発ではないということが明らかです。アドラー心理学は「社会統合論 Social Embeddedness」、つまり、人は社会に埋め込まれて生きているということを前提にしています。
アドラー心理学は、自分を探してもそれはどこにもないですよ、あなたが共同体感覚を持って行動すること自体があなた自身なのです、ということを言うのです。だから、後期近代の自己啓発の流れとは全く別の道を進んでいるということです。自分探しをしても意味がありません、打ち切りましょうというのがアドラー心理学からの示唆です。
アドラー自身はもちろん「自己啓発 Personal Development」という言葉は使っていません。でも「自己訓練 Self-training」という言葉は使っています。Trainingという言葉はアドラーが好んで使った単語です。
それは、どういう意味かというと、まず人は共同体に所属するためにライフスタイルを形成します。それ自体が自己訓練なのですね。その過程で自分を成長させていく。それはまずは自分のためです。自分の所属が確保されるように自分を訓練し、成長する。そして、それと並行して「共同体感覚 Social Interest」を育てていくことが必要だというのです。
つまり、自分の開発と共同体感覚の開発は並行して進めなければならない。自分の開発だけをして、それで欲望や地位は満足させられても、人生の意味はそこにはないというのです。なぜなら人生の意味は社会の中に埋め込まれて、信頼と貢献を感じることでしか達成されないからです。
これがアドラーが後期近代の自己啓発の流れとは全く別の道を進んでいるということです。
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