音楽好き必見。映画「ボレロ ー永遠の旋律ー」。天才が命を懸けて作り上げた名曲に想いを馳せる。
みなさん、世界に名を轟かせる「ドラマー泣かせの名曲」をご存知でしょうか?
その曲とはモーリス・ラヴェル作「Bolero (ボレロ)」です。曲名でピンと来ない人でも曲は聞いたことがあると思います。
この聴けば誰でも知っている名曲を作ったフランス人の作曲家の名はモーリス・ラヴェル。
彼の半生を、この名曲Boleroを中心に描いた映画が公開されたとのことで早速鑑賞して来ました。
フランス映画らしく、ド派手なアクションもなく淡々と話が進む作品でしたが、とても面白く、人生の意味について考えさせられる内容でしたので、皆さんにその魅力をお伝えできればと思います。
では行ってみましょう!
「ボレロ」がドラマー泣かせの曲である理由
まず、映画の中身に入る前に、この曲がどうしてドラマー泣かせなのかを軽くお話したいと思います。この曲を聴くことがあったら是非ドラマーを応援して欲しいので…!(笑)
この曲は最初から最後までスネアドラム (いわゆる”小太鼓”)で一つの決まったフレーズをひたすら叩き続けるのです。演奏時間 17分の間ずっと。
しかも曲の始まりもえげつない。
頭からスネアドラムのフレーズが繰り返されるのですが、服が擦れる音が聞こえるほど静まり返ったコンサート会場で、微かに聞こえる位のものすごーく小さい音で始めなければならないのです。
フレーズを間違えたり、音の大きさが揃っていなかったりすると、ど素人のお客さんでも一瞬で分かってしまう・・・・絶対にミスは許されない!という超極限状態が最初から最後まで17分間続きます。
そう、まるで自分が機械になったかのように。
まさに地獄・・・!
もちろん地獄というだけでは名曲にはなりません。
その緊張感だから生まれる高揚感。そして、一つのフレーズが延々と続くことで生まれる「この緊張感が永遠と続くのではないか」という発狂しそうなに精神状態と、それが突然パッと終わりを告げて解放されることによるカタルシス。
これらが絶妙に組み合わさって、他の曲では決して得られないような感覚を得ることができるのも、この曲が名曲たるゆえんでしょう。
では、こんな変態曲・・・もとい歴史に残る名曲を作ったモーリス・ラヴェルとはどんな人物だったのでしょう。
モーリス・ラヴェルの人物像
モーリス・ラヴェルは1875年に生まれたフランスを代表する作曲家。
生まれはフランスですが、隣国スペインに近い場所で生まれ、母親もスペイン系だったことで、音楽的にもスペイン的なラテン調のリズムやフレーズがところどころに感じられます。
ラヴェルは子供の頃から優れた音楽的才能を開花させ、若くしてフランスの音楽大学の名門・パリ音楽院へ入学しました。
その性格を一言で言えば「完璧主義」。
ラヴェルをネットで検察すると彼の写真がたくさん出て来ますが、どれも上から下までビシッとスーツで決めています。
映画の中でも、オーケストラとのリハの時に自分が履いている靴が気に入らないと言って控室に引きこもったり、せわしなくタバコを吸うシーンが多かったりと、まぁ悪く言えば「神経質」だったようです。さすがボレロのようなドラマーいじめの曲を書くだけはある…。
そんな彼は、在学中から優れた作品を発表しパリを中心に国際的にも名の知れた作曲家となりました。世間一般では早くから高い評価を受けていたのですが、それとは対照的には非常に保守的な姿勢だった音楽学会においてはラヴェルの前衛的な音楽性はあまり評価されていませんでした。
特に彼が所属していたパリ音楽院の院長・デュポワは、ラヴェルの音楽性をかなり低く見積もっていたようで、ラヴェルはその高い技術と音楽性にも関わらず成績が振るわず、除籍処分になったこともありました。
そのラヴェルの評価を一転させたのが、この映画のタイトルにもなっている「ボレロ」という作品。これを機にラヴェルは音楽業界でも高い評価を得ることができました。
ノンフィクションの映画だったら「ここからラヴェルの快進撃が始まる!」という展開になるのでしょうが、現実はそのまったく逆。
不運なことにこの作品を出した直後からラヴェルは記憶障害や言語障害に悩まされることになり、徐々に作曲ができなくなっていきます。
ある時、ジャンヌダルクの物語に刺激を受けオペラ作品を作ろうとしますが、頭の中に鳴り響く音楽を譜面に起こすことができなくなるほど悪化。
あるときは友人に泣きながら「私の頭の中にはたくさんの音楽が豊かに流れている。それをもっとみんなに聴かせたいのに、もう一文字も曲が書けなくなってしまった」と呟き、また別の友人には『ジャンヌ・ダルク』の構想を語ったあと、「だがこのオペラを完成させることはできないだろう。僕の頭の中ではもう完成しているし音も聴こえているが、今の僕はそれを書くことができないからね」とも述べたとも言われ、結局作品を世に出すことはできませんでした。
そして1937年、六十二歳の時に脳神経手術を受けるも手術は失敗。そのまま昏睡状態となり帰らぬ人となったのでした。
この映画は悲劇の物語か?
ここまでラヴェルの人生を軽く紹介しました。
これだけでもお分かりのように、ラヴェルは天賦の才に恵まれたにも関わらず晩年になるまで正当な評価を得ることができませんでした。
そして、その完璧主義な気質ゆえにその狭間で苦しみ続けました。
挙句「Bolero (ボレロ)」という作品によってようやく正当な評価を勝ち取ることができたと思ったら、その直後に命の源とも言える作曲ができなくなるという悲劇に見舞われます。
実際この映画のあらすじだけ読むと、まさにこのような「悲劇の物語」ということになるでしょう。
しかし、この作品で伝えたかったことは、そのような悲劇のストーリーでなかったように思います。私が思うにこの作品のテーマとは「人生とは自分の奥底に眠る、魂の有り様を探究する物語である。」といういわば人生の讃歌ではないでしょうか。
確かにラヴェルの人生のハイライトはボレロという名曲を必死になって書き上げ、それが世に認められ、名実ともに大作曲家としての地位を築き上げた時かもしれません。
しかし、そのように解釈してしまうと、その後の彼の苦難に満ちた人生は”絶頂からの転落”にしか過ぎなくなってしまいます。でも、本当にそうでしょうか。
なるほど。自らの命を懸けて向き合って来た作曲という仕事を病によってできなくなったことは悲劇でしかありません。ですが、ボレロという曲が彼にとって自分の作曲家としての人生を見つめ直し、自分が見落として来た本当の自分を一つずつ拾い上げ、「自分とは何者か」を探る旅だったとすればどうでしょうか。
そこには全く違う風景が見えるはずです。
悲劇を乗り越えたその先に輝く名曲として
ここでラヴェルボレロを作る中で向き合ったものを探るために、ボレロを作った経緯を軽くご紹介したいと思います。
先にも書いた通りラヴェルはその才能にも関わらずなかなか思ったような評価を得ることができずに、深刻なスランプに陥っていました。その時とある有名なバレエ・ダンサーからバレエ音楽の作曲を依頼されます。
ようやく舞い込んできた仕事を前にラヴェルは作曲に取り掛かりますが、思うように作業が進まず、長い間一音も書けずにいました。その間にも依頼主からは今か今かと矢のような催促が飛んできます。しかも、そのバレエダンサーは「もうすぐ曲が完成する」とマスコミに吹聴し、公演会場までも押さえてしまいます。
その後もどんどんラヴェルは追い込まれ、公演まで2週間を切った時でさえ一音も書くことができていませんでした。思わずラヴェルも「もう作曲家ラヴェルはこれで終わった!もうダメだ!」と叫び声をあげてしまうほどに追い込まれてしまいました。
そんな中、クラシック音楽には全く興味のない家政婦の女性に「普段はどんな音楽を聴くんだい?」とたまたま問いかけたことで事態が動き始めます。
その女性は「私は先生の書かれるような音楽は全く分かりません。・・・流行歌が好きなんですよ。」と気恥ずかしそうに答えます。
当時は現代よりもクラシック音楽と流行曲の位 (階級) は、はっきりと分かれていて流況曲は下賎な音楽だと思われていました。だから女性は申し訳なさそうに答えたのでしょう。
しかし、ラヴェルはそれに興味を示します。「へえ。いいじゃないか。」と。
そしておもむろにピアノを弾き始め、それに合わせて家政婦が歌い始めます。楽しそうに。
その時ラヴェルは気づくのです。その家政婦が歌っているのが母の祖国であるスペインの流行歌であることを。そして、その独特のリズムにインスピレーションを得て、あのボレロのリズムに目覚めていくのです。
その母との思い出を契機に今まで自分が心の奥底に封じ込めていたさまざまな記憶ー母との死別、戦争の痛み、叶わなかった美しい愛を一つずつ拾い上げ、それをインスピレーションとして少しずつ曲を作り上げていきます。
このようにラヴェルは、ボレロという曲を作る過程の中で自分の内奥に眠る過去の記憶と正面から向き合うことで、自分自身がまったく気付かなかった魂のあり様を見出しました。それがボレロという曲として形を帯び、さらに今までどうやっても得られなかった社会的評価にも繋がった。
恐らくこの曲が認められたことは、彼にとって彼の人生そのものの価値が世間に認められたと感じられたことでしょう。
そしてその直後、彼は自らを形作ってきた「作曲」という才能が自らの手からこぼれ落ちていくことになるのです。
確かにそれは悲劇とも言えるかもしれません。実際彼にとっては耐え難い苦痛と恐怖だったことは想像に難くありません。
ですが、自らの人生と向き合うことで希求していた高みにようやく到達することができた。そこに至るまでの苦悩を考えるならば、ボレロを生み出した後の彼の人生は、自分の葛藤と苦しみを生み出し続けた"商業的作曲"という戦いの螺旋から降りていく過程だったと言えるのではないでしょうか。
すなわち誰かからの評価を得るための作曲から自由になり、音楽そのものを楽しむ人生を生きるための道のりを歩むことができるようになったのではないかと。
実際そう思わせる印象的なシーンがありました。
晩年病気の症状が悪化して過去のことも思い出せなくなった頃に、ラヴェルがボレロのレコードを聴くことがあったのですが、彼はそれが自分が作った曲だとすら分かりません。
その時彼が近くにいた家政婦に「これは誰の曲なんだ?」と聞くと、彼女は穏やかな表情で「これはあなたが作った曲ですよ。」と答えます。
するとラヴェルは「僕が?」と一瞬驚いた後、少し寂しそうな、でも嬉しそうな表情を見せ「…そうか。悪くないね。」とその音に静かに聴き入るのでした。
この「悪くないね。」という言葉は、自分に厳しい彼にとって自分自身に向けた最大の賛辞だったのだと思います。
自分の作った曲のことすら分からないことは、作曲家にとって最大の不幸とも言うべき事態のはずです。それにも関わらず、この時の彼の姿はどこか誇らしげでした。
記憶すらも覚束なくなったことで逆に自らを苦しめていた作曲という呪縛から解き放たれ、音楽そのものを純粋な目で見ることができるようになった。もしかしたらこのことはラヴェルがようやく手にした最上のひと時だったかもしれません。
まとめ:人生の”ままならなさ”を描いた名作
最後に、私のこの作品の感想を一言で表すと
「人生とは如何にままならないものか」
ということです。
「ままならない」とは自分思い通りにならないという意味ですが、自分の思い通りにコントロールできないといったニュアンスよりも、求めても求めても望んだものが手に入らない・・・むしろ、強く求めるからこそその願いが遠のいていく儚さといったニュアンスを含んだ言葉になります。
この名曲「ボレロ」は、100年近く前にパリ・オペラ座で初演されて以来、世界中で広く愛された音楽史上もっとも成功した曲です。
自らの人生を振り返り、その全てを注ぎ込んで作った名曲を生み出した途端、自分を形作ってきたもの全てを失うことになった。それは確かに悲劇以外の何者でもありませんが、彼が全てを注ぎ込んだからこそ生まれた曲はラヴェル自身の悲劇ゆえに名曲として愛され続ける輝きを手にいれることができたのではないか。
そんな風に思えてなりません。
実際この「ボレロ」は国境を越え、世界中で今もなお愛される曲として生き続けているのですから。
もし皆さんがどこかで「ボレロ」を聴くことがあったら、是非その美しい音楽と共に、モーリス・ラヴェルの儚くも美しい人生に想いを馳せて頂ければ幸いです。
今回も長文を最後までお読みいただきありがとうございました(^人^)
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