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『相続でモメる人、モメない人』天野大輔著 |講談社
「相続」という文化はもっと研究されてよい分野だとおもう。文化と表現したのは、漢字の語源的に相続は身と密接に関係のある営みだからだ。白川静説に沿ってみようか。
まず「続」は「糸が連続する(連なり続く)こと」をいう。こちらはまあ、そうだろうなとおもう。ただ注目すべきは「相」の方で、少し長く引用してみたい。
相は木を目で「みる」の意味である。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味となる。また「すがた、かたち」の意味にも用いる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振りの力があると考えられてたのである。
つまり、相続とはそもそも「魂振りが連なり続くこと」と視ることもできるのではないだろうか。そして、そこから転じて『倶舎論』あたりにおける「因果が絶えず連なり続くこと」といった仏教的な意味が生じたのではという氣もする。
兎にも角にも、源流に還れば還るほど、相続はモメる要素がないように感じるけれど、相続に税金も法律も添えられた近代ではそうはいかない。そこで今回紹介したい一冊は『相続でモメる人、モメない人』である。
本書は二択形式でモメない人を選んでいく形がとられている。私も氣軽に選びながら、読み進めていったが、意外とモメる方を選んでいたケースもあった。モメないようにとしたつもりで、かえってモメる選択肢の方に流されていたパターンも少なくなかった。これでは、魂振りからさらに遠ざかってしまう。
本書に好感を抱けるのは、相続というと現代では遺書等、先々を考えて準備をしていかなければならない側面はあるものの、それだけが凡てではないというのがよくわかる点である。行間から人間味があふれ、時には争うこともあるだろうけれど、幾世代も人が脈々と連なっていく営みの佳さを感じられる。
相続というのかわからないが、私は父の急逝で晴耕雨読の「晴耕」を担う法人を継いだ。あれは或る「雨読」団体の理事長を三代目として継いだあくる年のことであった。こちらの法人の創設者はある意味、私の第二の父と云っても過言ではない酒飲みである。その雨読団体主催で、四月に本書の著者である天野大輔先生をお招きして、東京駅付近の会場で読書会を行う。
アットホームに行いたいと考えているので、もしご興味があれば、足を運んでいただければ幸いだ。これ以降はいつものマニアックな購読者に向けて、魂振りができる眼の使い方をお伝えしていく。本当は教えてくないのだけれど笑。
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