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朝陽を直視して #朝のルーティーン

私の朝は早いというより、ほぼ夜中に起きる。

大概は二時か三時に起きて、朝の七時に早くも昼寝?を十五分ほど入れることも少なくない。こんな老人のような暮らしを二十代からしてきたから、もはや氣分は百歳をゆうに越えている。

「君の仕事ぶりは晩年にするものだよ」

といった助言も妙にされてきた。

有能な経営者なら早朝から仕事を片付けていくのだろうけれども、そのような暮らしもスマホが毀れたことをよいことに斷捨離した。私のスマホは1ギガの容量があるが、ネットが故障で通じず、電話とショートメールしか機能しなくなって永い。もはやスマホの形をしたガラケーである。Wi-Fiがあるところでのみ電氣的な営みをする暮らしから抜け出せないでいる。

飛べない飛行機がセクシーなように、繋がらないスマホにもまた色氣がある。しかも、繋がらないくせに、1ギガと器だけは大きいのだ。

閑話休題。何の話だったか。

かつてはよく朝から酒を呑み、書道をしていた。私は酔わないとまともな字が書けない性質のダメ人間なので、このようなルーティーンにしたわけである。書聖と呼ばれた或る男が昔いらしたが、この男も同じ性質の人間だったらしく、天皇のまえで書いた際は、さすがに素面であったという。結果は云うまでもない。

今となっては書道のルーティーンも面倒くさくなって、疎らになってしまった。

このような私のエセ文化人生活のなかで唯一残ったのが、太陽の直視であろう。

特に朝陽は目に優しくてよい。日本人は原始太陽信仰であったと訊くが、私も今世は日本人の端くれとして生まれてきた以上、太陽を視るのである。

どうせなら朝のルーティーンは太陽礼拝だと見栄をはりたいけれども、どう考えても私は礼拝などしていない。

ただ視るだけ。

無論、眩しい。。。

朝からなんでこんな目にあわなければならないのだろう。。。

この眩しさを誤魔化そうと私はいつからかドレミの音階を陽に奉ぐようになった。それでも眩しいから、

ウト


ファ

あたりでいつも終える。ラで目が痛くなるのだ。

ちなみにウトというのは無論ドのつもりだが、いつもドをウトと噛んでしまうから、そのままの表記にした。

早起きは三文の徳とは云ったものの、私は朝陽にむかってドレミを歌い、何がしたいのであろうか。このルーティーンのせいか、目の見え方も具合が惡く、近頃は陽が三角形に映る。

おそらくあれこそが靈的太陽なのであろう。

ちなみに家の窓からいかにも撮った風に朝陽の写真を載せたが、これはいつぞやの奄美大島から撮った一葉であり、実際の朝のルーティーンで視る太陽とは異なる。軽く詫びてこの原稿を書き終えたい。

#朝のルーティーン

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