自己犠牲のパラドクス
用語
目的と概要
本文では、平等主義に基づく自己犠牲的な救済が、結果的に平等主義に反してしまうという論理的矛盾を示す。簡単に言うと「平等を求めるなら、無理してまで人助けをしてはいけない」という内容である。
本論
図について
パターン1
①下図において、Aさんはみかんが欠乏しているため、平等主義に基づくと、他者からの救済によってみかんを補充されるべきである。
②ここでBさんが平等主義に従い、Aさんにみかんを一つあげることでAさんを救済する。Aさんにみかんをあげることで、Bさんが所有するみかんはBさんの最低限ラインを下回る。よって、この救済は自己犠牲的といえる。
③結果として、Aさんが最低限ラインを満たす量のみかんを得ることができたため、みかんをあげたBさんは、自分が平等主義的な救済を遂行できたと考えるだろう。しかし、今となってはBさんのみかんが欠乏してしまっており、この状態は平等主義に反するといえる。したがってBさんの平等主義に基づく救済行為は、それが自己犠牲的であるがゆえに、平等主義に反してしまうのだ。
パターン2
①下図において、Aさんはみかんが欠乏しているため、平等主義に基づくと、他者からの救済によってみかんを補充されるべきである。
②ここでCさんが平等主義に従い、Aさんにみかんを一つあげることでCさんを救済する。Aさんにみかんをあげても、Cさんが所有するみかんは最低限ラインを下回らない。よって、この救済は自己犠牲的ではないといえる。
③結果として、Aさんが最低限ラインを満たす量のみかんを得ることができたため、みかんをあげたCさんは、自分が平等主義に基づいた救済を遂行できたと考えるだろう。Cさんの所有するみかんの量も最低限ラインを下回っていないため、平等主義に基づく救済行為が完遂されたといえる。
結論
平等主義に従って救済行為をしたとしても、それが自己犠牲的であれば平等主義に反する結果がもたらされてしまうため、平等主義に基づく自己犠牲的救済は矛盾しているといえる。したがって平等主義に基づいた救済行為は、自分が無理せずできる範囲で行われることでのみ成立するのだ。
裏を返せば、自己犠牲的な救済は自分の価値を救済対象のそれよりも低く見積もっている場合などで成立すると考える。これが自己肯定感の低い者が他者に過度に尽くしてしまう要因になっているのかもしれない。他にも、宗教的・文化的な動機などもありえるだろう。
あとがき
本稿はあくまでも、倫理的な問題について論理的観点から考察したにすぎない。
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