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小平 崇史
2020年9月2日 03:51
今回の作品FDLはちびっこのうちの犬がどこでも好きなようにオシッコを自由に撒き散らすような気分で描きます。如何に好きなように描くかが今回の作品のポイントです。好きなように絵を描くとは難しいものです。意外にそのままではつまらないもの。目的が明確でなければすぐに嫌いになります。オシッコを撒き散らす犬の行為には明確に目的があると思います。私の目的は皆が好きなように、犬がオシッコを撒き散ら
2020年8月29日 16:43
絵は本来は楽しいものです。本来とは幼児の頃とか生得的な力で野生的に絵を描いていた頃とか、絵の描き方、周りを汚さないなどのルールを与えられる前です。大人の皆さんとか、物心を覚えた子供も含めて忘れてしまっている頃。絵はこの本来の楽しさを忘れてしまうという問題を随分昔から知っています。でもこの問題はとても高い壁で人類は越えようとして未だに越えられないでいます。この壁を超えられないことは、つま
2020年8月28日 09:12
線には無限の可能性があります。私が今回描いている線は兎に角細さを追求した線。細くすることによってこれまでになかった見え方がわかる。細いので光り輝くように見えたり、細すぎて光って見えるのでカッターの刃のように切れそうに見えたりします。今回の線に対する拘りはとにかく「楽しい」ということ。絵の外の世界の皆さんには知られていない現実ですが、実はこの世界は奴隷のように扱われることが多い。例えば、
2020年8月27日 14:51
視覚で認識できる形には丸とか三角とか色んな形があります。色んな形の1つの線。これら幾何学的な形は脳で作られたイメージです。眼で追った点の集積であったり、細いシルエットの残像であったり。視覚とは、視て、覚えると書くようによくよく考えると脳で作られたイメージ、つまり記憶です。網膜に影が映り込んだだけでは知覚とは言えない。網膜にある神経を通じて脳に情報が伝わってから知覚されます。脳でイメ
2020年8月22日 12:05
「油絵なんか描いても仕方がない」東京藝術大学には「油絵を描いても仕方がない」という薄っぺらい意見がある。考え方として妥当する所もあるが、それは時代の大きな流れの上澄みの表層的な話であって根本的な根幹にかかる話ではない。実に薄い。仮に根幹にかかるのであれば即刻油画専攻は解体するべきだがそういった気概で発言している話ではない。このような発言をするのは、流行にとらわれる、どちらかといえば弱いアーチ