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「油絵は価値がある宣言」FDL Tips 7−3

「油絵なんか描いても仕方がない」
東京藝術大学には「油絵を描いても仕方がない」という薄っぺらい意見がある。
考え方として妥当する所もあるが、それは時代の大きな流れの上澄みの表層的な話であって根本的な根幹にかかる話ではない。実に薄い。仮に根幹にかかるのであれば即刻油画専攻は解体するべきだがそういった気概で発言している話ではない。
このような発言をするのは、流行にとらわれる、どちらかといえば弱いアーチストの心配しそうなことだと、私は感じる。彼らは、絵なんか描いていても仕方がないと権力闘争し学内の椅子取りゲームに勝ち、本来の目的はそれだけのことであって、元々それが成される為のただのネガティブキャンペーンであり、若者への教育が変わるようにまともに仕事をする気は毛頭ない。椅子に座って発言するだけだ。実に薄い。蚊取り線香の煙のように薄い。弱い。へなちょこ。

本当に油絵を描く必要がないと東京芸大が考えるのであれば誰一人として芸大美大の「油画専攻」「油絵科」は受験させてはならない。

とまあ現状はさておき、実際は、そこまで油絵は捨てたものではありません。そのことは薄々東京芸大の人間もわかっているのではっきりだめだと公言できないのです。耳打ちするような言い方で公にはしません。発言が本当であれば小学校から高校までの教科書に油絵を描くべきではないことを掲載して全国の図画工作と美術の授業で油絵を描いてはならないことを伝えるべきです。それができないのは、油絵には価値があるからです。

残念ながら油絵の価値はとても不味い状態にあります。決してなくなることがないその価値はエネルギーのようなものです。そのエネルギーの今の状態は使い切った後の汚物。あたかも糞尿のような状態です。それにたかるハエが芸大の教官です。
後始末は学生がやる。

私は油絵を描く画家です。そして油絵の価値を十分知り尽くしている画家です。
私の中で卒業できないことが心にあって。訳あってこれまで主張せずに引っ込めてきた。私は人に殴られても、いじめられても、絶対に逆らわないことが正義だと教え込ませてきた。絶対服従が美学のように仕込まれてきた。
それを抜けるためにはそれを私に刷り込んだ親を否定する必要があった。
というわけで自分の美学に反し、2年前父親を切り捨てました。
私の姿勢が変わったのはそれからです。

さて、声を大にして叫びます。
「油絵には価値がある」

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