小平 崇史

美術予備校熊谷美術研究所(kumabi.com)代表。東京芸大卒。画家。多くの人に貧困を知って頂く為に貧困層の生まれで進学を通じて貧困ぬけした私のエピソードを書きます。

小平 崇史

美術予備校熊谷美術研究所(kumabi.com)代表。東京芸大卒。画家。多くの人に貧困を知って頂く為に貧困層の生まれで進学を通じて貧困ぬけした私のエピソードを書きます。

マガジン

  • 天才育成計画

  • Fingertip spectacle!

    東京芸大卒業で油絵を専門にしている画家です。機会を待って23年間筆を置いてきました。やっと筆を取る機会が生まれたので作品の意図について詳細に書きます。Fingertip spectacleとは指先の壮大な光景という意味です。手元の世界は誰にでも素晴らしい世界。それを絵画するととても実に素晴らしい光景が生まれ広がりを見せるのです。

  • 貧困は抜けられます

    今現在貧困に苦しんでいる方。苦しんでいる人を抜けさせようとしている方。貧困問題に興味がある方の為に書いています。これを読むことによって困難や不可能と思われる貧困ぬけでも、実際に抜けられたり、抜ける可能性が十分あることがおわかり頂けると考えています。 今現在貧困と向かい合っている方は目の前の状況と重なり手立てにつながる部分があれば幸いです。状況は違えど勇気を持って頂いたり、スイッチを入れることができればと思います。又、貧困ではない方は私のケースを見て貧困に陥らないようにする貧困予防の処方箋として役立てて頂ければと思います。 皆さんのお役に立つ事ができれば幸いです。

  • コロナ受難「平時ではない状況下の学校のあり方について」

    一連のコロナにおける災いをコロナ受難と称したい。私の立場で書く受難は美術系の学校、特に芸大美大受験予備校からみた学校のコロナ受難についてとなる。私の運営している予備校では緊急事態宣言と同時にオンライン授業を実施した。それから今大学生から休校の声が上がっている。コロナ受難の処方箋を書いていこうと思う。

  • 修学支援新制度

最近の記事

  • 固定された記事

貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,1「生まれ」

1972年3月24日広島県福島市で私は生まれました。 福島には何歳までいたかはわかりません。 記憶もほぼありません。広島市にもいたそうです。 覚えていることと言えば、同じアパートに住む子に階段で押されて転んだ時に出来た傷が顎の下にあることと微かに同じアパートの子のことを覚えているくらいで、どんな部屋だったか、写真すら残っていないので何もわかりません。 あ、そうそう、当時のことについて母から唯一聞いた話は、階段から近所の子に押されて落ちた時にできた傷が裂けて傷口がぷっくりと開い

    • シン・エ

      「シン・エ」 目の前の白い紙を見て何かを感じたり思ったり考えたりすることがあります。「感じる」「思う」「考える」この3つは全く違うものです。残念ながら絵の評価でそこを理解して評価をくだされてるものは世界中どこを探してもありません。ポンコツです。これがどれだけ愚かなことか考えてみてください。言葉の意味がわかるなら誰でもわかります。 白い紙の前で浮かんでくるものは美しく綺麗なものばかりではありません。どちらかと言えば悪いイメージの方が多いはずです。美術の授業では間違いなく美し

      • 絵を書く「絵は人に没頭させる」

        この内容は熊谷美術研究所のHP に掲載予定の文章と同じものを使っています。 私は美術予備校の先生を始めて30年経ちます。とうとう近しい人は予備校の先生を辞めました。私は自分の受験で色々苦しんだので受験に対して思うことが沢山あります。残りの人生がそれほど長くはないことを考えると、今私がこの仕事を続けていることは運命のような気がして、受験が正しくなるためにやらなければならないことがある気がします。受験を通じて絵を見てきて、受験の表に出せない問題も沢山知っていますが、受験に限らず

        • 「線を引く時に俺は考えていない」FDL Tips 12−5−1−7

          俺は考えていない? 絵を描く時。俺は線を描く前に何にも考えないよ。と言われる方がおられると思います。何となく慣れた手付きでさっと描けてしまう。 俺は何も考えていないのでどのような考えで描いているか説明しろと言われてもできませんよという人もいます。なるほどよくわかりますが、大変失礼ですがそれも考えているのです。 このようなことを言うと困惑されるかもしれませんが、それ以前から既に困惑している人たちを助けるために失礼を承知で言わせていただきます。 困惑されている人たちとは絵を描こう

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        貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,1「生まれ」

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          14本
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        • 貧困は抜けられます
          15本
        • コロナ受難「平時ではない状況下の学校のあり方について」
          6本
        • 修学支援新制度
          6本
        • 進学のススメ
          3本

        記事

          「誰でも魅力的な線を引くことができる。特別な才能はいらない。必要なのは常識です。」FDL Tips 12−5−1−6

          誰でも魅力的な線を引くことができる たった1本の線の中にもとても大切なことが沢山詰まっています。 そこを覗いてみた時に駄目な線や無駄な線など1本もありません。 線はその人の生きる姿そのものですし、その人のことを沢山物語っています。 それを見えなくさせてしまうのは褒賞や成績評価です。 誰でも魅力的な線を引くことができる。 つまり誰の線にも実は魅力があります。そこに優劣をつけてしまうことが話をおかしくするのです。 その魅力を説くことは残念ながらアートの世界にできる人はいません

          「誰でも魅力的な線を引くことができる。特別な才能はいらない。必要なのは常識です。」FDL Tips 12−5−1−6

          「絵の特別な才能を信じている人ごめんなさい」FDL Tips 12−5−1−5

          特別な才能を信じている人ごめんなさい 自分には他の人にはない特別な才能を持っていると、それを自分の心の支えにしている人には大変申し訳ないですが、絵の世界にそのようなものはありません。 本当に申し訳ありません。 特別な才能と言う認識は諸刃の剣です。 それを信じる人の心を一時的に救うと同時に不可解で意味不明な状況を生み出し、かやの外に出されたその他の人の心を引き離します。当の本人も正直不可解さをぬぐいきれず苛まれているはずです。例えればかつての小倉優子のコリン星と同じと言えばわか

          「絵の特別な才能を信じている人ごめんなさい」FDL Tips 12−5−1−5

          「絵を描く時の手の動力性能」FDL Tips 12−5−1−4

          手の動力性能 手は人間の動力性能の粋が集まっている所です。 車の動力性能については詳細に明らかにされていますが絵を描く時の人間の動力性能は明らかにされていません。 車は各メーカー競って動力性能を上げる為に尽力しますが、絵の世界は動力性能を上げる為に尽力していません。 車は人が作った人工物。手は自然物。 人類が人間の動力性能を上げる事に関心がないのかと言えば違います。 陸上などのスポーツを見ればどれだけ力を尽くしているか明白です。 絵の世界はそれでいながら上手という評価を下し

          「絵を描く時の手の動力性能」FDL Tips 12−5−1−4

          「自由奔放な線/描くことは汚すことという教育/苦手意識と洗脳/褒賞で洗脳する」FDL Tips 12−5−1−3

          自由奔放な線 人が自由奔放に線を描いたら描かれた線には色んな魅力が現れます。 イメージや計算、思想、考え、衝動や気分や体調、感情、その人の身体の大きさなど・・。 線をただの線として浅く見れば何も見えてきませんが、深く見れば無限に価値が噴き出すものです。 自由に絵を描くことは本来誰にでもできることです。 私は絵も文章と同じように皆が吐き出せるだけ吐き出せるようになった方がいいものだと考えています。 絵を描くということの本当の価値は社会で認識されていません。 皆が吐き出すよう

          「自由奔放な線/描くことは汚すことという教育/苦手意識と洗脳/褒賞で洗脳する」FDL Tips 12−5−1−3

          「線を自由奔放に描く理由」FDL Tips 12−5−1−2

          「自由」とか「自由にのびのび」私はこの2つの言葉はアートの世界と学校で安易に使われていると思います。 正直、どこが自由ですか?と思います。 余りに制約だらけで、自由と言わされているだけで、自由ではないけれども大人の振る舞いとして自由と言わせるためのツールとして利用されているだけで、本来の機能をまったくしていない言葉だと思っています。 その思いと同時に「自由」「自由にのびのび」とは人類が必ず手に入れなければならないものだと考えています。 我々は余りに抑うつされて生かされている

          「線を自由奔放に描く理由」FDL Tips 12−5−1−2

          「線を絵に描く前に悩むことについて」FDL Tips 12−5−1−1

          絵は深く悩めば悩むほど手は止まるものです。 どれだけ深く考えるか?その深さに限界はありません。 絵は手か、頭か、目の3つのいずれかの1つか2つか、はたまた3つを総動員して描くものです。(例えば眼を閉じて絵を描くこともできます。)そのため絵を描くために必ず頭を使って考えなければならない、ということはありません。 私の好きな言葉はブルース・リーのDont think feel です。なので考えずに感じながら描くことを推奨することはよくあります。特に私はどちらかと言えば皆が考え

          「線を絵に描く前に悩むことについて」FDL Tips 12−5−1−1

          「線を描くために朝気持ちを一歩前へ」FDL Tips 12−5−3

          私の絵(FDL)のコンセプトの元になる懸念は皆がつまらなそうに電車に乗って、つらそうに仕事をしていることです。毎朝そういった姿を見ながらアートのやるべき皆様への働きかけを悩み、考えています。 勉強が嫌いで、仕事が嫌い。昔の私はそうでした。 今の私は、毎朝早く仕事に行きたくて、行けることが嬉しくて家を出ます。 仕事は楽しい。 勉強も、仕事も好きです。 毎日スイッチを入れるために、気持ちを一歩前に出す。逆に気持ちを絶対に後ろに一歩引かせたり、前にでないように立ち止まるようには

          「線を描くために朝気持ちを一歩前へ」FDL Tips 12−5−3

          「線を引く瞬間に反射的に手がこわばるブレーキの理由」FDL Tips 12−5−2

          線を引く瞬間に知らずしらずの内に反射的にブレーキがかかる。 今回はその理由をあげます。 才能がない 自信がない やる気がない だるい 絵が嫌い 描きたくない 面白くない 描き方がわからない 疲れている 見えていない 描きたいけど描けない 絵を描く時に手がこわばり線が引けない場合があります。 このこわばりがあることとそのとり払い方を皆さんに紹介するのが今回の私の作品のコンセプトの1つです。 症状には軽度のものから、重度のものまであります。 主に話のメインは軽度の皆さんです

          「線を引く瞬間に反射的に手がこわばるブレーキの理由」FDL Tips 12−5−2

          「線を引く時の気分。この絵は言うなればうちの犬がオシッコを自由にどこでも撒き散らすような感じ」FDL Tips 12−5−1

          今回の作品FDLはちびっこのうちの犬がどこでも好きなようにオシッコを自由に撒き散らすような気分で描きます。 如何に好きなように描くかが今回の作品のポイントです。 好きなように絵を描くとは難しいものです。 意外にそのままではつまらないもの。 目的が明確でなければすぐに嫌いになります。 オシッコを撒き散らす犬の行為には明確に目的があると思います。 私の目的は皆が好きなように、犬がオシッコを撒き散らすくらいに自由奔放な気分で絵を描けるようにすることです。 そのためには、皆さんに

          「線を引く時の気分。この絵は言うなればうちの犬がオシッコを自由にどこでも撒き散らすような感じ」FDL Tips 12−5−1

          「線を描いても無邪気な線をみんな引ける気分ではない。」FDL Tips 12−4

          絵は本来は楽しいものです。 本来とは幼児の頃とか生得的な力で野生的に絵を描いていた頃とか、絵の描き方、周りを汚さないなどのルールを与えられる前です。 大人の皆さんとか、物心を覚えた子供も含めて忘れてしまっている頃。 絵はこの本来の楽しさを忘れてしまうという問題を随分昔から知っています。 でもこの問題はとても高い壁で人類は越えようとして未だに越えられないでいます。 この壁を超えられないことは、つまり人生を楽しめない、かもしれないことを意味します。すみません。失礼かと存じますが

          「線を描いても無邪気な線をみんな引ける気分ではない。」FDL Tips 12−4

          「線の楽しい線のそうだコピーを考えよう」FDL Tips 12−3

          線には無限の可能性があります。 私が今回描いている線は兎に角細さを追求した線。 細くすることによってこれまでになかった見え方がわかる。 細いので光り輝くように見えたり、細すぎて光って見えるのでカッターの刃のように切れそうに見えたりします。 今回の線に対する拘りはとにかく「楽しい」ということ。 絵の外の世界の皆さんには知られていない現実ですが、実はこの世界は奴隷のように扱われることが多い。例えば、工芸的な完成度といって、絵画を工芸作品のように物理的な処理の仕方を突き詰めた場合

          「線の楽しい線のそうだコピーを考えよう」FDL Tips 12−3

          「線のイメージの線」FDL Tips 12−2

          視覚で認識できる形には丸とか三角とか色んな形があります。 色んな形の1つの線。 これら幾何学的な形は脳で作られたイメージです。 眼で追った点の集積であったり、細いシルエットの残像であったり。 視覚とは、視て、覚えると書くようによくよく考えると脳で作られたイメージ、つまり記憶です。 網膜に影が映り込んだだけでは知覚とは言えない。 網膜にある神経を通じて脳に情報が伝わってから知覚されます。 脳でイメージが作られる間に実は様々なフィルターを通っています。 不必要な情報を省いて必要

          「線のイメージの線」FDL Tips 12−2