著者からの『アンサー・メッセージ』その3
年明け最初は 著者の精神科医、加藤隆弘先生からの
アンサー・メッセージをお届けします
読者「ひとり言好き」さんからお寄せいただいたご感想へのお返事です
コメントありがとうございます。
コロナ禍での感染拡大の第三波により、2週間前に福岡でも二度目の緊急事態宣言が発令されました。都市部で働く方々を中心として、再び、リモートワークに戻ったという方も少なくないと思います。しかしながら、昨年2020年のゴールデンウィークを挟んでの緊急事態宣言の時ほどの自粛生活には至っていないという方が大半ではないでしょうか。コロナ禍で人と人との距離をとることを政府は要請していますが、「私たち人間の行動はそう容易くかわるものではない」ことを証明するひとつの社会現象として社会学者であれば論じるかもしれません。アインシュタインと「人はなぜ戦争をするのか」という往復書簡を交わしたフロイトであれば、「『死の欲動』のコントロールは不可能なのだ!」と語っていたことでしょう。
私たち人間というのはアンビバレントな存在です。密になると独りになりたくなるのに、独りぼっちになると人恋しくなるのです。コロナ禍に入る前に過密な生活で疲弊していた方にとって、コロナ禍での自粛生活はひとときの安堵をもたらしてくれたということは想像に難くありません。しかしながら、こうした自粛生活の長期化により孤独感が強まり、抑うつ・不安といった精神的な不調を呈するようになり、私たちの外来に訪れる方々が日に日に増えてきています。精神科受診をためらい、独りだけで悶々とした日々を過ごしている方もおられると思いますが、精神科医としてはとても心配です。是非、メンタルヘルスファーストエイドの精神に則って、援助を求めてほしいと思います。
【ひとり言好き】さんがおっしゃる「まだまだリアルで人の温度を感じられることを望んでしまう自分」という感覚、当然ながら私にもあります。拙著の11章で紹介した精神分析家フェアバーンは「興奮させる対象」と「拒絶する対象」という二種類の邪悪な心が私たちの無意識の中には潜んでいるという類いのことをいっています。フェアバーンは、第一次世界大戦・第二次世界大戦の渦中を生きた人で、戦争外傷の兵士の治療から、彼独自の精神分析理論を生み出しています。「人は対象希求的である」、これこそが孤高の分析家と呼ばれた彼の格言です。人肌を求めるのは人間に備わった本能だというわけです。そして、ひきこもるという心性もフェアバーン理論によると本能なのです。コロナ禍によって、こうした人間の本能そのものが損なわれることはないはずです。長年、自室に独りでひきこもっている人でも、心のどこかで人肌を求めているはずです。こうした本能へのアプローチこそがひきこもり支援の肝になっています。私たちみんなに潜んでいる二つの本能の居場所を獲得する終わりなき道程、これこそが人生なのかもしれませんね。
さて、そもそも、「健全な状態」って何なんでしょうね。2019年秋、木立の文庫でオンライン連載をはじめるに際して、連載名を「みんなのひきこもり」と名付けた私の脳裏には,次のようなイメージがありました。「2050年にはインターネット社会が発展して、外出不要の社会になって、本当にみんながひきこもりとなり、ひきこもりこそが健全と呼ばれる時代がくるかもしれない?!」という期待と恐れです。拙著のエピローグでの架空のひきこもり症例O君、実は最後まで物理的なひきこもり状態から脱出していませんよね。O君のような生き方が「健全」と呼ばれる社会が来るかもしれないという未来を想像してみたわけです。先週末の1月23〜24日、フューチャーデザイン(Future Design)という新しい価値観に関するワークショップがオンラインで開催され、私も登壇しました。このフューチャーデザイン、ひきこもりに関する新しいアプローチを提供してくれると期待しています。2050年の未来人になって、いまこのコロナ禍を眺めていることで本当に大切なモノはなにかを発見できるのではないかと思っています。どこかで紹介します。
深いメッセージのこもった【ひとり言好き】さんの質問、噛めば噛むほどいろいろな連想が沸いてきますが、今日はここまでとします。
加藤先生がお示しくださった2050年までの30年で
人間が思う価値は変わっていくのでしょうか?
今すでに激動の時代に突入していることは間違いない気がします
私たちが思う「本当に大切なもの」は何なのでしょう?
「みんな」は違っても「わたし」はこれ
それが尊重される場面が多くあってほしい
そんな風に思います
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