勝手に古代史ミステリー : 日の下、草の香 1
序
始めます、と書いたものの、さて、具体的にどうしようか。
タイトルは、スタイルは……、と悩みつつ、時間も見つけられないままにまた日にちが経ちました。
いやいや、時間や日にちのことは、この際、いいことにしよう。
どれだけかかってもいい、時間や日にちがかかる間に新たに学びたいこと、考えられることも沢山あるはずですから。
多くの人に普通に関心を持ってもらいやすいテーマでもなく、オタクと自称するも烏滸がましいド素人の勝手な思い込み論に、果たして目を留めて下さる方がおられるものか。
結局、早晩、挫折して途切れて終わるのではないか………
ぐずぐず言ったらキリがありません。
何を書いてもいい、応援しますという、note さんの運営ポリシーを信じて委ねます(笑)
とりあえず、始めます。
きっかけ : 古代のこと
私は、身近に古墳や史跡が多い土地に育ちました。
近年、周辺一帯が世界遺産に指定されたことは驚きでしたが、それだけの歴史的価値を秘めた土地であることは疑う余地がないと思っています。
しかし、子供時代には、それらはただ当たり前に身近にあるというだけで、親しみ以上の意味や普遍的な価値があるものとは感じていなかったかも知れません。
高校時代、ふと古代の日本に興味が湧き、記紀や万葉集を読んでみようと思ったのは、育った環境とは関係なく、ただ成長の過程で自分自身の生まれた時のことや両親や祖父母の時代のことに興味を持ったり知ったりするのと同じように、単純に自分の国の始まりのことも知りたいなと思ったまでのことでした。
しかし、歌集である万葉集はともかくも古事記は、幼少期からの活字中毒を自称していた私にも想定外の構造を持つ「異質な書物」でした。
絵本などで読んだことのある因幡の白ウサギや海幸山幸の物語などに相当する神話などの箇所は何とか読めたものの、それ以外の部分は一体なにがどうして語られてこの展開になるのか、書物としての文脈さえわからず、完全にお手上げ状態。
小さな文庫本一冊に収まる内容ですらチンプンカンプンで、読んで疲れただけとしか思えなかったのに、その5、6倍の分量がある上に、同じ一つの物事にいちいち複数の記述が併記されるような日本書紀ときたら、もう手に取って見ただけでギブアップ、となってしまいました。
これは、私の十代の読書体験にとって希少な「挫折」体験の一つとなりました。
再びの出会い
そんな「古代史の世界」の扉を再び開くきっかけになったもの。それは、やはり幼少期から身近にあった史跡にまつわる興味からでした。
私が4歳から育った土地は母方の祖母の一家が代々暮らしてきたところで、周辺には祖母の幼少期からのお付き合いがある、いわゆる”土地のもん”(地元民)や続き柄もよくわからないような親せきや縁戚がそこら中にいるような環境。
もっとも、我が祖母は若い頃に単身、東京で遠縁の一家に引き取られて暮らしたり、大阪市内で就職して結婚後も北大阪で所帯を持ち、高齢になってから孫である私たちなどを連れて帰郷した、といった形でしたので、そこら辺の土地柄との”濃い”結びつきは祖母個人のもので、その下の世代の私たち母子には若干、隔たりがあるものだったのですが。
とはいえ、現在では堂々たる世界遺産の一部となった偉大な史跡の数々に幼少期から「ご近所さん」として親しんできた”皮膚感覚”は、紛れもない”地元民”の特権であると自負しております。
その「ご近所さん」の一つが、藤井寺市と羽曳野市の境目に位置する「伝雄略天皇陵」こと、「島泉丸山古墳」でありました。
ご近所の「雄略さん」
地元民の一族(の末端)ですので、我が家および親族代々の墓は自宅から徒歩十分ほどの市営墓地(かつての集落墓地)にあり、明治生まれの祖母は、週に一度は庭先の花などを束ねてお参りに行くのが日常でした。
幼かった私も祖母について、しょっちゅう墓参りに行っておりましたが、その市営墓地の傍らと言ってもいい場所にある小山のような塊が「伝・雄略天皇陵」(島泉丸山古墳)。祖母はじめ地元民は誰もが気さくに「雄略さん」と呼んで親しんでおりました。
「雄略さんのお堀のとこに狸の親子が出よったらしいでぇ」といった”噂話”もよく聞いたものです。
また、祖母いわく、昔は雄略陵の道路を挟んだ向かい側により小さな四角形の塚があり、雄略天皇死去の際に殉死した隼人らの墓だと言われていたそうです。
30年ほど前にはバッティングセンターが作られていた土地の辺りかと思うのですが、そのバッティングセンターもとうの昔につぶれてしまい、今はただ道路わきの一角に荒れ地が残るばかりのようです。
さて、私はそのようにして「雄略さん」の存在に親しんで育ち、まるで遠縁のおじいさんのことでも話すかのように雄略さん、雄略さんと呼んでいたのですが、ある時、ふと、思いました。
雄略さんって、実際のところ、どんな人物で、どんな事績を残した天皇なのだろう?
これだけ身近にあって親しんできたのに、その人自身のことを全く知らないというのも、おかしな話です。
そこで、二十代半ばになっていた私は、かつて挫折して読むことができなかった古事記をもう一度、読んでみることにしました。
かつては闇雲に冒頭から読み進んで挫折しましたが、今回は雄略天皇に関する部分だけに絞って読めばいい。それなら読めるだろう。
そう思い、またその一冊を手に取ったのです。
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