おかげさまで。/『すずめの戸締まり』感想とか
私は宇多田ヒカルさんのファンなのですが、待望の新アルバムが出ました。
ベストアルバムではあるのものの、新曲も収録されており、それが放映中の伊藤忠商事のCMに使用されています。
この曲もさることながら、CMの「おかげさまで」というコンセプトがなんだかいいなぁと思いました。
具体的にどんな思いが込められているのか?伊藤忠商事のプレスリリースによりますと、
ということらしいです。なかなか大きな視点で考えられていることが分かります。
ところで、「おかげさまで」という言葉の語源って何なのでしょう?
辞書によれば「御蔭」とは、以下のように説明されています。
そこから「おかげさま」は、「人の好意や親切などに対して感謝の気持を表わすあいさつのことば。」となったようです。もとは神仏の加護に対する言葉からきていたんですね。
前掲のCMでは、「御蔭」の②の意味合いが強いと思われますが、①②の意味合いともに素敵な言葉だと思いました。
*
*
話は変わりますが、先日の金曜ロードショーで初めて『すずめの戸締まり』を観て、個人的に考えさせられた部分がありました。
以下、あらすじの紹介の後にネタバレを含みますので、『すずめの戸締まり』未視聴の方はご注意ください。(次の段に飛ぶかUターン推奨です)
あらすじを映画公式サイトから引用します。
扉が開くと、その中から「ミミズ」と呼ばれる、通常の人の目には見えない赤黒い巨大な触手のようなものが飛び出してきます。それが人々の暮らす街の上へと伸びていき、下に落ちてしまうと…巨大地震が発生してしまうのです。
しかし、冒頭のシーンで、主人公・鈴芽は「要石(実はダイジン)」を抜いてしまいます。要石とは、ミミズを抑えてくれている存在であり、それが抜けたということは…各地でミミズが暴れてしまうことに。
要石といえば、現実の世界でいくと、茨城県の鹿島神宮および千葉県の香取神宮にある「要石」が一番有名かと思います。この二対の石は、地震を起こす大鯰の頭尾を抑えてくれているという伝承があります。
劇中では、ダイジンとサダイジンという二匹の猫(=要石の化身)が登場するので、この二社の要石をモデルにしているのかもしれませんね。
さて、以上を踏まえて本題に入ります。今回の映画で個人的に印象に残ったのが、環さんという鈴芽の育ての親である叔母さんと鈴芽のギクシャクシーンでした。
環さんとは、自身の姉である鈴芽の母親が、先の震災(東日本大震災と思われる)で亡くなったため、孤児となった当時4歳の鈴芽を引き取った人物です。前掲のあらすじにある通り勝手に家を飛び出して、閉じ師の旅に出た鈴芽を心配して追いかけ、途中で鈴芽に追いつくのですが、なんやかんやで共に最終目的地の東北を目指します。その道中で環さんと鈴芽が口論になるシーンがあります。
口論の中で、鈴芽が、環さんの自分に対する心配や親代わりとしての思いが「重くて迷惑だ」という趣旨のことを言い、環さんはショックを受けます。そこで環さんから飛び出すのが、「私の人生返してよ!」という叫びです。鈴芽を引き取るのは自分しかいなかった。お金を稼ぐのも慣れない子育てもしていかないといけない。しかも、結婚適齢期にあっても、コブ付きと結婚しようとしてくれる人なんていなかった。
鈴芽から恩を仇で返すような言葉をぶつけられて絶叫する環さん。
実はこの環さんのダークな本音とも取れる言葉は、サダイジンが憑依して彼女に言わせていた、という演出だったのですが、これは「要石」の本音と重ねているのではないかと私は感じました。
要石たちは、人間たちが安心して平和に生きられるように、地震の発生を抑えていたけれど、人間たちはその平和を当然のもののように感謝もなく享受している。陰にある支えなどないかのように。感謝を忘れ、安寧な暮らしという利益だけをのうのうと享受し続ける人間への呆れや悲しさ、あるいは怒りといった感情が、要石たるダイジン・サダイジンにはあったのではないでしょうか?
つまり、鈴芽=人間たち、環さん=要石たちという比喩表現で、要石への感謝を忘れている人間を風刺しているのではないか、ということです。
終盤のシーンでも、ダイジンが鈴芽からの「ありがとう」の言葉をもらったからこそ、要石に戻ろうとしたように私には見えました。
*
*
『すずめの戸締まり』を観てそんなことを考えていた私は、とある一節を思い出しました。少々長いのですが、以下に引用します。(続け字の部分のみ当方にて修正)
これは、江戸後期の国学者である本居宣長の言葉です。彼は古の様々な文献を読み解き、『古事記』の解釈に挑んだ大家です。『古事記伝』が最も有名ですが、今回引用した『玉勝間』を含め数々の著作を残しています。
引用箇所を簡単に現代語訳します。(自己流なので違っていたらすみません。)
身分が上の人は位も高く、一国一郡を治め、多くの人を従え、世の人に敬われ、何事も豊かにたのしく過ごし、身分が下の者は、飢えることなく食事にありつけ、凍えることなく衣服を身に着け、家屋に安住している。これらはすべて、主君の恵、父母の恵であることはそうであるが、その元を尋ねれば、前述のことをはじめ、この世のありとあらゆるものはすべて神の御霊にあるのである。したがって、生きる人は神を尊ばなければならないのに、常となっていることにはそう心に留めず、忘れているのが当たり前になっていて、主君の恵、先祖の恵をそうとも思わず、もとは神の御霊であることをみな忘れ果てて思いやることもないのは、まことに畏れ多く、あってはならないことだ。
ざっくりいうならば、「私たちはみな、おかげさまで生きている、それを忘れてはならないよ」というところでしょうか。記紀神話を独力で読み解いた宣長はそのように語るのです。
*
*
これまでの先人が積み上げて作ってきた社会。先祖がつないできてくれた命。それら「人為」への感謝はもちろんですが、その存在がハッキリと証明されていなかったとしても、平穏な日々を実現してくれている偉大なるもの――私は素直に神さまだと思っていますが――への感謝の心を持った人間でありたい。宇多田ヒカルさん出演のCM・『すずめの戸締まり』・本居宣長の著(『玉勝間』)という、3つのものから、そんなふうに思いました。
いつか鹿島神宮・香取神宮にもお参りしたいものですが、まずは近所の神社へ参拝かな。
◇◆参考文献リスト
新CM・新聞広告の展開を開始『「おかげさまで」が地球を回す力になればいいのに』|プレスリリース|伊藤忠商事株式会社 (itochu.co.jp)
御陰・御蔭(おかげ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
御蔭様(おかげさま)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
映画『すずめの戸締まり』公式サイト (suzume-tojimari-movie.jp)
境内案内 | 鹿島神宮 (kashimajingu.jp)
境内案内 | 香取神宮 (katori-jingu.or.jp)
本居宣長『玉勝間』(大野晋・大久保正編『本居宣長全集』巻一、筑摩書房、1968年)