「生々流転」誕生100周年記念展:1 /横山大観記念館
まもなく、9月1日。
関東大震災から100年めを迎える。
いま、関東近郊の公立博物館・資料館では、大震災を回顧する展示が席捲中。美術館でも、館蔵品と関連づけた企画が散見される。
東京国立近代美術館の所蔵作品展では「関東大震災から100年」と題し、4階の3室分を使って特集。大震災が美術の世界にどんな影響を及ぼしたのかが理解できて、たいへん興味深かった。
このうち、最初の展示テーマは「1923年の美術」。扉の解説文を引用したい。
100年前の9月1日は、土曜日だった。
1日、土曜、芸術の秋……ときたら、展覧会の開幕初日としてはお誂え向き。それで、2つの大きな展示がバッティングしていたのであった。
このうち、再興院展に出品されていたのが、横山大観《生々流転》(東京国立近代美術館 重文)。揺れがおさまったあと、大観みずから巻き取って撤収したという。
展示のテーマからすれば当然、出品が望まれたわけだが、春先の特別展「重要文化財の秘密」では出ずっぱりだったために、出品が叶わなかったのだろう。指定品ゆえ、年間の公開日数には上限が設けられている。致し方あるまい。
ところが……《生々流転》の「下絵」ならば、幸いなことにまだ拝見は可能。
上野・不忍池のほとりにある横山大観記念館で、所蔵品の小下絵と未完本が一挙公開中なのだ。
制作過程を示す資料は記念館ならではといえようが、未完本とは、奥歯にものが挟まったような表現だ。補足が必要だろう。
日本画では、ラフな構想段階の「小下絵(こしたえ)」、小下絵を原寸に拡大し、なお検討を重ねて準備する「大下絵(おおしたえ)」を経て、大下絵をもとに本画に取りかかるのが通常のプロセス。
だが、大観は《生々流転》の制作にあたって大下絵を省き、小下絵からいきなり本画に入っている。
完成した《生々流転》は全長約40メートル、制作に要した絹本は80メートルを超えるというから、およそ半分が弾かれたことになる。
今回展示される「未完本」はこの一部で、すなわち、完成作品と同じ絹地に描かれた、同じ縦寸法をもつ画巻である。部分によってはたしかに「未完」めいているが、ほとんどが本画に近い趣をもっているように感じられ、「もうこれで完成でいいのでは……?」とすら思ってしまう出来だった。
展示室の壁には《生々流転》全図のパネルが掲示され、すぐ下の覗きケースに未完本、また別の小ケースに小下絵が展示されていた。
未完本と小下絵が呼応するよう、場面をそろえて展示され、完成作のパネルでは該当する部分を色枠でくくって、3つを対照しやすくする工夫がなされていた。場面替えも控えており、本展を通しで観れば、制作過程の大部分を確認することができる恰好。
小下絵は、折本(おりほん)仕立てになっている。鉛筆のタッチは素早く、荒々しい。ひらめいたイメージをかたちに起こそうと、鉛筆を走らせているさまがうかがえる。
未完本は小下絵よりもだいぶ完成作に近いわけだが、パネルと見比べると、やはりいろいろと違いが見つかる。
描き込みの密度や背景の有無もそうだが、最もわかりやすかったのは、川の両岸の位置関係。手前の岩(陸)の位置が、左右に調整しなおされている箇所がいくつかあった。最もすぐれた、バランスのよい構図を探して、ああでもないこうでもないと苦闘した跡がみえた。
3つのステップを目で見て比較することで、制作のプロセス、大観の思考の一端をたどることができた、楽しい時間であった。(つづく)
※竹之台陳列館は東京都美術館の前身ともいうべき施設で、現在の都美の北側・東博と挟まれた付近にあった。
※東近美による《生々流転》の全場面4K映像。これはほんとうにすごい。プロジェクターに投影してエンドレスリピートしていたいくらい(全体で20分強あります)。