宮城県美術館のコレクション展示:1
笠間から水戸線で小山へ。
稲刈りを終えた田んぼ、遠くに筑波山のふたこぶを望む夕景のなかを往く。
小山からは東北新幹線に飛び乗り、一路仙台へ。なにを隠そう、帰省である。
翌朝、実家から向かったのは宮城県美術館。小さい頃から何度来たかわからない、身近な美術館だ。高校の授業をサボって観に来たこともある(いまさら、なにを隠そう)。
展示の端境期で常設展のみだったが、この館のコレクションを端的に示す内容となっており、「夭折の画家たち」とも大いに関係、なにより楽しかったので、ここでも写真を交えてご紹介するとしたい。
まず、郷土ゆかりの作家が特集される。今回は小関きみ子と武村耕靄(こうあい)というふたりの女性画家をピックアップ。小関は仙台出身、耕靄は仙台藩士の娘である。
公立美術館の使命のひとつに、こういったその土地に関係する作家の顕彰が挙げられる。これはそのまま、訪ねる側の愉しみにつながる。他の館ではお目にかかれない未知なる作品との出合いは、いつだって楽しいのだ。
宮城県美術館は、東北6県では早くにできたほうの公立美術館であり、東北地方の中心を自認してはばからない県民性も手伝ってか、この「ご当地」の概念を「東北地方」の範囲まで拡大的に捉えている。
その甲斐あって、青森ゆかりの棟方志功、秋田ゆかりの平福百穂、藤田嗣治、岩手ゆかりの萬鉄五郎、松本竣介、舟越保武・桂などのいいものに、県民は親しく触れることができている。
文化行政の窓口は、多くの自治体では教育委員会である。学校教育の一環として生徒・児童に、生涯教育に資するため市民一般に実物をみせる、いわば教科書としての役割も、公立美術館には少なからず期待されている。
それゆえ「ご当地」にかぎらず、日本の近現代美術のアウトラインがおぼろげにでも描けるよう、通史の要所をおさえた収蔵方針がとられるケースは多い。
宮城県美術館は先に述べたような広い「ご当地」に加えて、「洲之内コレクション」という、たいへん素晴らしく個性的な作品群の収蔵に成功している。
コレクションの元の主・洲之内徹は、『芸術新潮』に連載されたエッセイ「気まぐれ美術館」で知られる画廊主。宮城との生前の関係性ははっきりいってないが、縁あって没後に所蔵品が一括取得された。
若き日に、芥川賞候補になったこともある。もし獲っていたら小説の仕事が主になって、美術に関するエッセイはあまり読めなかっただろう。彼の「現代画廊」が入っていたビルの跡地は、現在はGINZA SIXに……といったようなわたしの脱線癖も、洲之内さん譲りである。
洲之内コレクションには大家の作もあるが、ほぼここでしか名前を聞かないようなマイナー作家の作も多い。また、前回取り上げた「夭折の画家たち」の多くは、洲之内さんがエッセイで取り上げていたり、コレクションしている顔ぶれでもある。いずれにしても、洲之内さんの厳しい審美眼にかなった作品群である。
洲之内コレクションは通史的な文脈においても、また鑑賞面においても、宮城県美術館の収蔵品に多大なる「厚み」を付加していることは疑いようがない。
エッセイに登場する洲之内コレクションの絵を目指して来仙する人もいるといい、この館を語るうえでは欠くことのできない一群だ。
宮城県美術館の所蔵品展では洲之内コレクションのコーナーが常設され、数点を観ることができる。
洲之内コレクション中随一といっていい人気者・長谷川潾(りん)二郎の《猫》が出ていた。今回の来館は、この子に会うためというのも大きかったりする。
(つづく)