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没後50年 鏑木清方展:9 /東京国立近代美術館
(承前)
画帖『築地川』:番外編「獺(かわうそ)化ける」
画帖『築地川』全10図のうち、唯一のフィクションと思われる異色の一枚が、第6図「獺(かわうそ)化ける」。
築地川に架かる橋には、カワウソが女性や船頭に化けて出現するという言い伝えがあり、清方こと健一少年も祖母から聞き及んでいた。
【鏑木清方≪築地川≫より「獺化ける」】
— 上原美術館 (@uehara_museum) December 27, 2021
明治時代の築地川周辺には夜暗い場所が多くありました。ここに描かれているのは雨の中、船頭に化けて船見橋をくぐるカワウソ。この橋は幽霊橋とも呼ばれ、当時はカワウソが化けて出るといわれていました。
1月10日まで展示中です。https://t.co/HD9cbC355K pic.twitter.com/0CVHmYnnZp
存外にずんぐりとはしておらず、すらりとしたプロポーション。こうして人に化けたとしても、「夜目、遠目、傘(笠)の内」そろい踏みの状況であれば、かなりいい線をいっている。いかんせん、尻尾が目立つのでバレバレではあるのだが。
「船見橋」とはどこだろうか。
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「築地川」とあるところは、ほぼそのまま首都高となっている。築地川の支川や入船川は、埋め立てられて一般道に。
采女橋の西側が新橋演舞場、万年橋の北側が歌舞伎座で、これらの橋は現役。亀井橋のところには夏に水泳場が設けられたというが、いま飛び込んだら交通事故だ。
築地橋の南側が、現在の東京メトロ新富町駅。築地橋を渡った右手には、関東大震災まで「江戸三座」の流れを汲む新富座があって、歌舞伎座との双璧であった。「幽霊橋」こと船見橋は、新富座の東側にあった。
【鏑木清方≪築地川≫より「築地橋」】
— 上原美術館 (@uehara_museum) December 30, 2021
かつて築地橋の近くには劇場「新富座」がありました。芝居茶屋には提灯がともり、人々を惹きつけます。夜のとばりが下り、川を吹き抜ける風とともに、人々の賑わいが聞こえてくるかのようです。1月10日まで展示中。https://t.co/HD9cbC355K pic.twitter.com/UxxhHxowNX
清方の文章を読んでいくと、「獺化ける」のエピソードについて何度か言及があって、そこには「南船見橋」「采女橋」の名も出てくる。
いったいに築地の夜はさみしかったが、とりわけ今の演舞場の傍の采女橋と、この南船見橋とは獺(かわうそ)が出るといって、日が暮れると一人あるきは気味が悪く……
演舞場のうしろにある采女橋、新富座の裏手にある南船見橋は、どちらにも水陸両棲の怪しい獣類の潜むところと、すずみ台での話の種になった
ツイッターにある解説文は、清方自筆の詞書に即した内容となっている。画帖『築地川』の詞書をみてもたしかに「船見橋」となっているし、そもそも「南船見橋」という名の橋は他の記録には見当たらない。清方の記憶違いか、新富橋あたりの地元での俗称がそうであったのだろうか。
船見橋の架かっていた入船川は埋め立てられ、新大橋通りとなっている。
面影はむしろ、同じくカワウソ出没伝説の残る采女橋のほうがまだ色濃いかと思われる。
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この下を、カワウソの船頭が漕ぎ進んでいった(とされる)のである。
正体がばれると、カワウソはどぼんと川へ潜り、姿をくらましたという。
いま、川の水はない。カワウソは、どこへ消えてしまったのだろうか。(つづく)