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鉄道と美術の150年:2 /東京ステーションギャラリー

承前

「鉄道絵画」の珍品を、もういくつか。

 円山四条派の流れを汲む盛岡の絵師・川口月村が描いた《岩手県鉄道沿線名勝図巻》(もりおか歴史文化館)。
 淡彩で着色された穏和な調子の、ちょっと前時代的な画風の山水風景のなかを……鉄道が、走っている。
 鉄道さえなければ、幕末明治によくみかける地方の絵師の作だなといったところだが、鉄道が書き加えられることで、にわかにキッチュさを帯びた。思わず「珍品だなぁ」とつぶやく。

 ※下記リンク先に、類品が載っている。こちらのほうが、上のリンク先よりも今回拝見した図には近い雰囲気。


 京都画壇の大家のひとり・都路華香の《汽車図巻》(個人蔵。リンク先PDFの中央)。
 絵巻という横に長い画面を用いて、何両も連結させた列車と人々を描く。制服を着た駅員さんに、和装の旅客。洋装の人も現れた。
 このあたりまではまだ「当世風俗を描いたものだな」と安心して観ていられるところだが、徐々に、雲行きが怪しくなっていく。
 頭を丸めた旅の僧侶。中国の道士風の人物。杖をつきあごひげをたくわえた仙人。西洋人の一団。それよりもずっと大きな相撲取り。アイヌと思われる人……多士済々である。
 乗客が降車している場面とみられる。終点に着いたばかりなのだろう。この列車、いったいどこから来て、どこに着いたのだろうか?
 華香は画題の選択やモチーフの切り取り方などに独特なセンスをみせる画家で、海外のコレクターも多い。この男ならばやりかねない、といったところではあるが、いやはや。

 本展で唯一の工芸作品が、山鹿清華の染織《驀進》(所蔵者名の表記なし)。
 ただし、工芸とはいっても立体でなく、隣の絵画や写真と同じく平面の作品、巨大なタペストリーである。

  ※下のリンクの3枚目の写真・右側

 もくもくと煙をあげ、残像を残しながら「驀進」する汽車にはスピード感があり、雄々しく力強い。1944年という制作年を踏まえると、この力感も時代性を帯びたものと映る。
 掛幅の体裁となっており、「描き表装」よろしく、表具の箇所も本紙にあたる箇所と一緒に織られている。
 この体裁といい、大きさといい、そしてモチーフといい、どれをとってもまさに珍品。本展のテーマにも、この上なくふさわしい。

 河鍋暁斎《『地獄極楽めぐり図』より「極楽行きの汽車」》。
 先日、丸の内へ移転を果たしご近所様となった静嘉堂文庫美術館が所蔵する、暁斎の代表作のひとつだ。
 日本橋大伝馬町の大店・勝田家の主人が、わずか14歳で早逝した娘の追善のため暁斎に依頼した画帖のうちの一図。
 汽車に乗って、ガタンゴトンと極楽浄土へ片道切符の旅。来迎の場面も、暁斎の手にかかればこんなふうになってしまう。汽車ならば、雲に乗るより速そうだ。まさに早来迎……
 注目されるのは制作年代。1872年——つまり、いまから150年前の、鉄道開業の年だ。当時の浮世絵は速報性の高いメディアであったから、その着想を生かしつつ、想像力をはたらかせながら暁斎は描いたのだろう。
 わたしが気になってしかたないのは、そうまでして手厚く供養されたのに、この作品はやがて手離されてしまったのだという事実。岩崎家のコレクションに入って、現在に至るのだ。
 勝田家を離れたのは、親御さんがふたりとも亡くなり、娘さんを知る人が少なくなってからのことなのかなとか、いや家業が傾いて早い段階で泣く泣く売却されたかもしれないとか、余計な詮索をしながら、ひとり諸行無常を感じるのである。
 (つづく



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