特集展示「茶の湯の道具 茶碗」/京都国立博物館
旅の最後に、京都国立博物館へやってきた。お目当ては、館蔵品と寄託品から名碗を厳選した特集展示「茶の湯の道具 茶碗」。
寄託品の所蔵元には、京都市内の禅宗の古刹や、リニューアルのため休館中の畠山記念館(東京・白金台)が名を連ねる。京博では一昨年の秋に特別展「畠山記念館の名品」を単館開催しており、畠山記念館とは関係が深い。また、茶の湯の展示ではよくある傾向として、個人蔵が多かった。
京博に加えてこれらが所蔵する唐物茶碗・和物茶碗・高麗茶碗から、1タイプにつき1点ずつを選抜して紹介する本展。
もちろん、いうまでもなく “名品ぞろい” には違いないのだが、作品を選ぶ視点は、なかなかに硬派だった。
知名度・伝来といった作品の「外」の話やら、わかりやすい外見のインパクトやらよりも、徐々に染みわたってくる、景色や味のよさのほうが重視されているように感じられたのだ。曜変天目や喜左衛門井戸はないけれど、そういった印象の作品が目立った。解説文においても、作品をめぐるエピソードや銘への言及は控えめだったと思う。
たとえば志野茶碗は、世間的には緋色のよく出ているものや絵付のすぐれたものに高い評価が与えられる傾向があるなか、本展で1点のみ出品された志野茶碗は、緋色が控えめな無地志野の《志野茶碗 銘 卯の花》だった。
その隣には《瀬戸黒茶碗 銘 あら磯》が並んでいた。縦の箆(へら)目が強く残り、一部にちりちりと梅花皮(かいらぎ)状のただれをみせる武骨な筒形の碗である。
上のリンクの小山冨士夫の解説でも指摘されているように、《卯の花》のすっと切り立った筒に近いかたちは、むしろ瀬戸黒を思わせるところがある。
この2点を対照させることで、造形性の類似性と相違性をみせようという意図が感じられ、なるほどと思ったのであった。
「わかりやすい外見のインパクト」という意味では、長次郎《黒楽茶碗 銘 ムキ栗》(文化庁 重文)が、《割高台茶碗》(畠山記念館)とともに数少ない事例となってはいた。
作為的といわれる楽茶碗のなかでも、とりわけて遊び心とチャレンジ精神にあふれた一碗であるが、ここまでくるともはや彫塑作品の趣。
こんなかたちでも、意外や意外、飲みやすいのだという話も聞く。見込みは、永年の使用によってえもいわれぬまろやかさを呈していたのであった。
京都らしく、仁清に古清水、江戸後期の道八や永樂といった京焼の系譜にひととおり触れて〆とする点は特徴的といえるなか、樂は《ムキ栗》のひとつのみ、光悦はなしという選択になっている点も非常に興味深い。どちらも畠山記念館の寄託品から、いいものを見繕えられるにもかかわらず。
このあたり、企画者の意図を知りたかったが、残念ながら図録は出ていなかった。
京博では昨年の秋に特別展「京(みやこ)に生きる文化 茶の湯」を開催しており、本展はその続編や番外編といった裏テーマもありそうだから、そちらの図録の記述が多少はヒントになるだろうか……
京博のこの展示を皮切りとして、今年、関西の美術館では多くの名碗が展示される。相互割引など、連携企画を展開中とのことだ。
とくに次の2本は、京博の本展と比較することで、各館・各企画者ごとの個性がはっきりと表れそうで興味深い。
夏から秋にかけて、上方では茶碗が熱い——また、近いうちに東海道新幹線に飛び乗る理由が、できてしまった。
※年明け、東京国立博物館でも「茶碗 茶の湯を語るうつわ」という特集展示があるようだ。
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