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古伊賀 破格のやきもの:2 /五島美術館

承前

 これだけの名品が集まると、いったいどの作品を最初の1点めにすべきか、大いに迷われたことだろう。
 五島美術館の展示室には、入ってすぐに行灯ケースが立っている。来訪者はおのずとここに吸い寄せられるが、今回は《伊賀耳付花生 銘  聖》が収まっていた。

 ※上のサムネイルは、降りものが多く荒れた風情をみせる面。本展では反対の、火色がよく出た様相が異なる面を表として展示していた。リンク先に両面が掲載。

 木の蔓で編んだ籠花入のかたちを模しており、中央・左右につく耳はその名残。
 この手のものは、人間がエヘンと威張っているさまや、前習えの先頭のポーズを連想させ、ひときわ愛嬌が感じられる。本作は最たるものといえよう。ロボットみたくもある。しかも、ややポンコツ気味な……
 このように、古伊賀の花生を擬人化したくなるのは、みな同じのようだ。
 高原杓庵は著書『古伊賀花入』(昭和30年)のなかで、《聖》を「ラジオ体操せる人体のようである」と評している。
 そんなポーズあったかなと思い、いまラジオ体操第一を最初から通しで観たところ、上体をそらしたり、跳ねたりする際に似た挙動があった。ラジオ体操第一の制定は、昭和26年のことである。
 大正期に東京の所蔵家のもとにあった5つの名品は「東(あずま)五人男」と称された。《寿老人》(根津美術館)、《業平》(三井記念美術館)、《からたち》(畠山記念館  重文)、《小倉伊賀》(個人蔵  重文)、《芙蓉》(個人蔵  重文)で、このうち根津の《寿老人》(下図左)と三井の《業平》(同右)が本展に出品。

本展リーフレットより

 寿老人はそのまんま寿老人であったし、業平は火色とビードロの緑が鮮烈な若々しい美男子であった。
 銘は作品ができた後につけるもので、老人だろうと美男子だろうと、観る側が自由に想像してよいものとは思うが、反論のしようもない、言い得て妙の命銘であった。

 じつは、「五人男」の畠山記念館《からたち》に関しては、会場のどこにもないことに気づいて、たいそう意外に思った。

 《からたち》は畠山即翁にとって特別な作と聞いているから、見送られてしまったのだろうか。
 本展の図録には、本作を含む「五人男」の不出品3点と、藤田美術館の《寿老人》(重文)が「参考図版」としてカラー掲載されている。

 本展はそれらを除けば、古伊賀の名品とされる作はほぼ網羅されていて、とてつもない規模であることには変わりがない。
 全国の有名どころの茶の湯美術館が所蔵先に名を連ねるいっぽう、茶道具らしく、個人蔵の多さが目立つ。
 個人といってもいろいろあるけれど、頻繁に展覧会に出してくれるところばかりとはかぎらない。多くの人の目に触れることで「目垢(めあか)がつく」という考えもある世界。
 だからこそ、こうして集い、類作を比較し放題のぜいたく空間を実現してくださった美術館や所蔵者の方々には、感謝しかない。

 前回の更新では、末尾に次のようなことを書いた。

こんな空間は今後何十年と、いやもしかしたら2度と、味わえないかもしれなかった。

 これは、ほんとうにそうなのだ。
 ふだんから美術館に熱心にかよっていても、観尽くすことはまず不可能なラインナップ。
 たとえば「国宝展」「名品展」なんてものならば、たいていは、2、3年もほうぼうの展示をまわっていれば、ほとんどすべての作品に出合える。わざわざ大行列に並んで、会場で押し合いへし合いして、人の頭越しに数秒だけ覗き見る必要はない。
 だが、本展のような企画はそうはいかない。そもそも、美術館の展示には出てこない作品ばかり。
 こういう展示にこそ、行列に加わってまで観る価値があるはずなのだが……悲しいかな、行列なんて、さっぱりできていないのであった。
 観たい側としては、じっくり拝見できてありがたいかぎりだけれど、これではあんまりだなと思って、せめて図録を買い求めるのであった。(つづく

市川・野鳥の楽園にて



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