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琳派のやきもの —響きあう陶画の美 /出光美術館

  「琳派のやきもの」と題した、尾形乾山のやきもの(乾山焼)を主役とした展示。

 ——いたってスタンダードようでいて、じつは同時に齟齬やほころびを生じうるテーマ設定である。
 本展はそういった問題点に非常に自覚的で、絵画などの関連作例を多々並べることで積極的に向き合っていこうという、問題提起の意図が強く感じられる内容となっていた。
 
 乾山焼に関しては、展覧会名にもなっている「琳派のやきもの」としてのイメージが、すっかり浸透している。乾山は光琳の弟で、共作もしていることが大きい。

 だが、この「乾山焼=琳派のやきもの」という一元的な見方に関して、近年は疑義が呈されている。
 上の作品(※本展の出品作ではない)のように、絵付けを兄・光琳がおこなったものにかぎらず、琳派的な要素が認められる乾山焼はたしかにある。
 絵画史が中心の日本美術史では、そういった作例ばかりが大きく取り上げられてきたものの、それは乾山の陶業からみれば一部分でしかない。中国陶磁から阿蘭陀まで、あまたある着想源のひとつとして、琳派があるにすぎないことが判明している。

 本展の最初の作品は《銹絵獅子香炉》。エントランスからすぐの行灯ケースに入って、180度鑑賞できる状態になっていた。

 ※類品とともに並んだ、サントリー美術館「乾山見参!」(2015年)での展示のようす。

 玉を執る獅子が愛らしい巧緻な細工物であるが、これが「琳派のやきもの?」と問われれば……合理的な説明はできないどころか、琳派の「り」の字も、影も形もない。
 まったくもって琳派的とはいいがたいと同時に、きわめて高い水準を示すこの作例が最初に提示されたことで、「この展覧会、どうもようすが違うぞ……」といった感は、否応にも高まったのであった。

 続く作品は、壁つきケースの掛軸。紀州の文人画家・桑山玉洲の山水図であった。
 玉洲は江戸後期の画人との認識。じっさいに乾山(1663~1743)と玉洲(1746~99)の活動期は重複しない。
 一瞬「観る順番を間違えたかな?」と思ってしまうくらいにミスマッチで戸惑ってしまったのだが、解説を読むと、玉洲が光琳・乾山を文人趣味の先達として評価していたとのこと。酒井抱一による「琳派」顕彰キャンペーンがはじまる、少し以前の話である。
 たしかに、乾山焼には中国風が濃厚な作が多く、その生き方を含めて、乾山自身もまた文人的な存在といえる。
 中国絵画の筆様でやきものに山水を描き、漢詩文を賛として書き込んでいるし、「壽」などの漢字を意匠化したものもある。《銹絵獅子香炉》だって、中国・磁州窯の技法・作風を下敷きとしている。
 唐様を指向するこういった傾向は、乾山焼にはめずらしいものではなく、特異な例外として等閑視できない。

 このような冒頭の2点を皮切りに、乾山のイメージソースになったと思われる意匠やかたち、そこまでいかずとも同時代的な特徴が見いだせる狩野派などの絵画や漆工の作例を並べていく。
 そのことによって「乾山焼=琳派のやきもの」という色眼鏡の固定観念を突き崩しつつ、一部作品では肯定しながら、館蔵の京焼や琳派の名品をしっかり見せてくれた。乾山の代表作《銹絵染付金銀白彩松波文蓋物》(江戸時代・18世紀  重文)や、師の野々村仁清による《色絵芥子文茶壺》(江戸時代・17世紀)は、その一例。
 仁清の芥子の茶壺は、ほぼ同時代に制作され、意匠や装飾性が共通する狩野重信《麦・芥子図屏風》との取り合わせが出色。

 ※下の動画は今回の展示のものではないが、茶壺と屏風が展示されている場所・位置関係は同一。


 絵画や陶磁といった分野による「縦割り」の考え方を取り払い、同じ時代性のあらわれとして捉えなおす視点が、いかに重要か。
 本展の隠れテーマともいえそうなポイントを、最もよく象徴している一角だと思われた。

 ——それにしても、まさか、こんな展開になろうとは……「琳派のやきもの」というクラシックな表向きの姿からは想像もできなかったが、そんなところもまた刺激的といえる展覧会であった。



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