開館60周年特別展 横山大観と川端龍子:3 /大田区立龍子記念館
(承前)
昭和33年(1958)、大観が89歳で没した。
翌年、龍子は大観へのオマージュとして、大観の代表作《生々流転》(1923年 東京国立近代美術館 重文)を強く意識した《逆説・生々流転》(大田区立龍子記念館)という作品を発表している。
本家本元の大観《生々流転》は、水蒸気が一滴の雫となり、やがて大海に注いでいくさまを描く、全長約40メートルの水墨の絵巻。
これに対して龍子の《逆説》は、大観が没する2か月前に発生し、伊豆半島に大きな被害を及ぼした狩野川台風を主題としている。こちらは約28メートル、水墨淡彩。
《逆説》はなんと、額装になっている。
絵巻という形態は、すべて広げれば大画面といえるものながら、実際に観るときは肩幅の分ずつだけ広げていくため小画面ともいえる。
どちらかといえば後者の属性が強く、鏑木清方の表現を借りれば「卓上芸術」の一種だが、龍子はそれすら、全場面の額装によって「会場芸術」たらしめているのだ……!(なんとも表具師泣かせ)
どちらも自然現象を扱った、主題・サイズともに壮大なスケールの絵巻でありながら、視点の違いが際立つ。
龍子の《逆説》は、ミクロネシアのヤップ島で熱帯低気圧が発生するところからはじまり、それが台風になって日本に押し寄せ、爪痕を残して去ったあと、ブルドーザーなど重機が走り回ってみごとに復興を果たす……といった内容となっている。
大観が人間の営みをあくまで添景にとどめ、自然描写に徹するなか、龍子の《逆説》はオマージュなんだか、この期に及んでこれまた挑発的なんだか、わからないような作品である。
最後まで刺激的な、ふたりの画家の関係であった。
※《逆説》の詳しい解説、作品映像はこちら。
——本展では、ドラマにあふれるふたりの関係性を屋台骨としながらも、時系列にとらわれすぎず、両者のすぐれた作品を同時にたくさん観ることができる機会ともされていた。
大観の富士はかなりまとめて観られたし、《逆説》が序盤に出てきて、一筋縄ではいかないふたりの関係性を予期させるなど、非常に工夫の凝らされた構成と感じた。
今後も両者の画業を追いかけていきたいなと思わせる展示内容であった。
※《逆説》に関していえば、この長大すぎる額を展示できるスペースが、展示室に入ってすぐ右のこの壁しかなかったのかもしれない。でも、序盤に観られたのはすごくよかった。
※大観《生々流転》のお披露目初日は、関東大震災の日だった。絵の成立と震災に直接の関係はないが、《逆説》が台風という自然災害、自然の脅威を主題としているのは、なにか意図があるのかもしれない。狩野川台風は関東大震災の35年後、同じ9月の出来事だった。