廃棄物は想像力が枯渇したところに現れる
私もこの本を読み、エネルギーが人類にもたらす影響の甚大さを改めて教えられました。
また、どのようなエネルギーにも恩恵とリスクが存在し、私たちが消費するエネルギー量については拮抗したトレードオフが存在するということも痛感しました。
大きなエネルギー程、その恩恵も大きいですが、それと同じくらいのリスクも存在するということです。
石炭とCO2が典型的な例でしょう。
とはいえ、私たちはこれからもエネルギーと向き合っていかなければなりません。
また、この記事の中に、
だが、廃棄物とは使い道がわからない資源であるとも捉えられる。著者は「廃棄物は想像力が枯渇したところに現れる」と述べている。今後は、より賢いエネルギー配分が必要になる。それが歴史から学ぶべきことだろう。
とありますが、この「廃棄物は想像力が枯渇したところに現れる」という言葉は私にとっても非常に考えさせられる言葉でした。
私たちは当たり前のように、
不要品→廃棄物
と考えてしまいます。
しかし、それは短絡的な考え方であり、この考え方こそ、想像力の貧困性を生み出している原因とも言えます。
現に、私たち日本人は年間で4,272万トン(東京ドーム約115杯分)のごみを排出しています。
これからの時代、持続可能な社会を形成するためには、
不要品→有効活用→それ、どうやっても活用できない?→廃棄物
のような考え方でなくてはなりません。
例えば、私たちリユースを生業にしているものにとっては、まだまだ全然有効活用できるようなものでも、普通にごみとされている場合も多くあります。
有効活用するための仕組みが整っておらず、結局、ごみとして捨ててしまうのが一番楽であるというのが原因の一つではあります。
しかし、持続可能な社会においては「これ、まだ何か使い道があるのでは?」と、考えなくてはなりないのです。
不要品を有効活用するためには、「廃棄物ありき」の法や行政のあり方を抜本的に改めていくことも検討しなければならないと思います。
世の中の流れは急加速しつつある中で、既存の制度や仕組みでは不備がないのか、改めて考える必要があります。
とはいえ、まずは私自身が、今の仕事を通じて、廃棄物という概念を無くし廃棄物ゼロの社会を実現するために、目の前のことに精進していかなくてはなりませんね。
vkingxlによるPixabayからの画像