二度の大波到来、そして生還理由の備忘録【2024年5月振り返り】
正直5月は絶不調だった。
瀬戸内海ではめったにみられないような、大波が来ては去り、去ったと思ったらまた大波が来たような感覚で、久しぶりのどうしようもできない状態にそのままぐわんと揺れた。
でもこの1ヶ月もきっと、私に何かを訴えたくてやってきたのだろう。そんなことを思いながら、5月を振り返っていきます。
◇
ひとつめの大波。私にとって(このnoteを見てくださっている何人かの方にとっても)心のそばにいた人がいなくなってしまった。
最後に会いに行けると聞いて準備を始めたはいいものの、その1週間くらいはずっとふわふわしていて、体は動いているのに、心ここに在らずで。かといって自分の心がどこにあるのかも、よく分からなかった。
仕事を調整したり、家族に話したり、仲間と声を掛け合ったり。そんなことをしていると、心ここに在らずのなかでも、私の周りにはこんなに大切なものがあるんだと感じたりもした。そう感じさせてくれて、ありがとうと伝えている自分もいた。
そんな日々が過ぎ、玉野に帰ってきたときには心底ほっとしたのを覚えている。あ〜〜〜よかった。帰ってこられた。帰る場所があってうれしい。瀬戸内海を見ながら、また少し泣いた。
場所が持つ力は本当に偉大だ。きっと誰もが無意識のうちに、場所が持つ影響力を受けているんだと思う。少なくとも私は、毎日この地に助けてもらっている。
玉野という場所がもつ力のおかげで、私は波から帰還した。
◇
と思ったら、その1週間後に胃腸炎になった。二つ目の波、到来。なんて体は正直な……と思った。
玉野に帰ってからの1週間、仕事の遅れを取り戻さねばと気合を入れて取り組んでいた。あとは延期していた人と会う約束や、もともとあった出かける約束、日常を取り戻そうとしていた心などによって、いつのまにか自分に負荷をかけていたんだと思う。(食材にあたってはない。はず。)
気づいたときには、体からSOSが出ていた。
そうだ、私はもともと体調を崩しやすいんだったと思い出す。フリーになってからは働き方の相性がいいのか、コロナ以外は元気に過ごしていたのだ。ちょっと自分を過信したなと思った。
また仕事を延期する。迷惑かける。そう思ったけれど、歩くことすらままならなかったので、関係各所に連絡して潔く休んだ。
胃腸炎ってあんなにつらいんですね。記憶の上では初めてなったけど、正直発熱よりしんどかった。
そんな二つ目の大波から生還できた理由は、自炊と散歩と早起きだった。
腹痛はしばらく続いたけれど、少しでも食べないと薬飲むのもつらいなあ……と思い、おかゆをつくったり、うどんを茹でたり。お腹は痛いのに、なぜか自分に手をかけてあげたいと思って、自ら作ることをやっていた。今思えば、これは私の軸である。
よくなってきてからは、少しずつ外に出始めた。リハビリがてらの散歩。太陽の光を浴びるのって、こんなに気持ちよかったっけ?と思いながら、外に出られるうれしさを噛み締めていた。
そんなこんなで体調はよくなり、ゆるやかに復活していったのだけど、自然な流れで散歩と早起きが習慣になっている。
当たり前だが、散歩をして体を動かし、太陽の光や外の空気を浴びると、体の巡りがよくなって早起きできるようになった。5:30くらいに自然に目が覚めたときはびっくりしたもの。笑
5月の二度の大波はしんどかったが、そのときの体調とか、巡り合わせとか、自然な流れで生まれる習慣はいいなと思った。今までは習慣にしたい!と思って、やってきたものばかりだったから。
人っておもしろいなぁ。人生っておもしろいなぁ。本当に、そのときに必要なものが今目の前にあるんだなと思う。
「今を味わいたい」という私の感覚は、ここから生まれているのかもしれない。
巡りや循環については、この1年くらい個人的なテーマだった。ただ、いま初めてすとんと腑に落ちた気がする。
体も頭も心も、巡りを感じながら6月も過ごしてみようと思います。