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見知らぬ土地へ引っ越した、母に捧げる生姜焼き

あの日はちょうど、蒸し暑かった。気温はもちろん、家族内の空気も蒸し暑かったというか、ねっとりとしていて、まとわりついてくるようだった。その独特な空気感に、正直私は飲まれていたと思う。

3ヶ月ぶりくらいに実家に帰ったあの日。母の様子がいつもと違っていた。


いつもなら、最寄り駅に迎えにきてくれる母が「おかえり!久しぶりだねえ」などと明るく声をかけてくれ、まっすぐに家へ向かい、食卓を囲む。

けれどあの日、彼女が言った「おかえり」の「り」に、ため息が混ざっていたのを、私は聞き逃さなかった。そしてなぜか「ごめんね」と謝られる。

不思議に思っていると「まだごはんは買ってばかりなの」と言って向かったのは、家ではなく回転寿司屋さんだった。

謝ることは何もない。そもそも毎日自炊していた家庭ではないし、何より回転寿司は好きだし、あの日食べたお寿司もとてもおいしかったと思う。けれど、いつもなら母を纏うカラッとした空気が、あの日にはなかったこと。それは正直お寿司よりも、気になって気になって仕方がなかった。


私が帰省する1週間ほど前、家族は全く知らない土地に引っ越した。そして家の片付けが中途半端なまま、母は新事務所での仕事がスタートしたらしい。

「まだごはんは買ってばかりなの」とは、家が片付いていないのと、慣れない土地での暮らしと、仕事の疲れが溜まっているのとで、ごはんを作る気力がないことを意味していた。

母自身も、調子が悪いのは自覚あり。そんなあなたが心配で帰ってきたんです、なんて言えるはずもなく。言っても当時の母には、きっと届かなかっただろうと思っている。


そのあと2〜3日、母たちは仕事終わりにお惣菜を買ってきた。そのお惣菜ももちろんおいしかったが、母の様子が気になる一方。

私は食べながら、いろんな話をしたり、反対に聞いたりした。あれやこれやといろいろ声をかけてはみたものの、ため息混じりの母の声色は、一向に変わる気配がない。話すことで、少しでも気が紛れたらと思っていた私の思いは、暖簾に腕押し。どうしたものか……と思った矢先、私はもう、言葉でどうにかするのを諦めた。


代わりにやったこと。
それは、私がごはんをつくること。
もうこれしか手を差し伸べる術はないと、そう思った。

週末、家族とスーパーに行く。「悪いねえ」なんて言われたけれど「私がやりたいだけだから」と、半ば強引に押し切った。

そうして作ったのが、生姜焼きだった。


作ったと言っても、特別手の込んだことはしていない。何ならその日は下味をつけて冷凍しただけだから、キッチンに立っていたのはたったの5分。玉ねぎをザクザクと切って、豚こま肉とともにジップロックへ入れる。醤油大さじ3、砂糖と酒を大さじ2、生姜チューブを目分量で加えて、袋の上から混ぜる。これだけだ。私のお気に入りレシピは、一瞬で作り終わるからいい。

そして次の日、仕込んでおいた生姜焼きが食卓に並んだ。テーブルの上に、フライパンごとどーんと置いて、各々がお皿にとりわけて食べる。だいぶ大雑把なやり方ではあったけど、食べ始めた母はなんだか、体の力が少しずつ、少しずつ、抜けているように感じた。

「おいしいねえ」「これいいねえ」「久しぶりに家で作ったごはん食べたよ」と、ごはんのことを話しているだけ。目の前にある乗り越えないといけないことは、まだ何も解決していないのに、手作りごはんを食べるだけで、いつものカラッとした空気を纏う母の姿が、ちらちらと戻り始めたみたいだった。

そこからさらに数日間、私はごはんを作り続けた。本当は作り続けなくても、下味冷凍や常備菜を作っておけばいいのだけど、このときだけはなんとなく毎日作りたくなって、キッチンに立っていた。

とはいえやはり1品5〜10分でできるものしか作らないから、労力は何もかからない。それでも母は、やっぱり少しずつ本来の姿に戻ってきているようで、それを見て私も、いつのまにか元気をもらっていた。蒸し暑さを感じたあの日から数日間のことは、たぶんずっと忘れないだろうと思う。


言葉でどうにかするのではなく、ごはんを作ろうと思ったのは、私がここ2年くらいで自炊をするようになって、明らかに調子がよくなっているからだった。

からだが元気になるだけではない。自炊をすると、こころも元気になる。そのメカニズムもこの2年で知った。だからがんばりたいとき、すぐにがんばれる自分になれる。休みたいときは、休ませてあげられる。今の私は、人生の中でいちばん自分を大切にできていると思う。


大学生になったばかりの頃、社会人になったばかりの頃、事細かに私は母から「ちゃんとごはん食べてるの?」と聞かれていた。正直あの蒸し暑かった日ほど、母から言われた言葉を丸々返したいと思った日はない。

でも、その言葉を受け止めきれないタイミングがあることも、私は知っていた。

だから思わず出そうになった言葉をぐっと飲み込み、「私、ごはん作っていい?」と言ったのだ。あれは家族のためでもあるけれど、自分のためでもある。この重たい空気のまま過ごしたら、家族と共倒れしそう。そう思っての言葉でもあった。


とはいえ、あのときは重たい空気を完全に断ち切れたわけではない。断ち切るきっかけを作れたくらいで、私が実家で過ごした期間では、それくらいしかできなかった。

大切な人には、やっぱり元気でいてほしい。大切な人が元気でないと、私まで元気がなくなる。その想いを言葉で伝えてもいいけれど、自炊をしてできる手づくりの食事もまた、想いを伝えるひとつの手段になりえると思った。




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