書評:今泉みね『名ごりの夢』と日本人の時間
今泉みね『名ごりの夢――蘭家桂川家に生れて』(平凡社、東洋文庫、1963)
図書館で偶然手に取った本書は、昭和10年に、当時80歳だった老母による維新前後の回想を息子の今泉源吉がまとめたものだが、これがとても面白い。副題にあるように、洋医者の娘だった著者は、幼い頃、福澤諭吉におんぶしてもらったという家庭環境に育った。私がとくに感動したのは、潮干狩りに関連して、著者が次のように述べている箇所だ。「昔の人は今の人とちがって、ただなんでもじいっと見入る。なにしろゆっくりしたものです。その代りそれも一生に一度ぐらいの遊覧だったのでございましょう。」(p. 77) 時間をかけて見るから、昔の人の方が、深く景色を覚えていた。
また、文学と生活の関係についても、興味深い記述がある。「昔は親から、来るお客さんから、みんな話すことでもなんでも歌、俳諧のことを話します。別に歌の稽古をするとはなしにみんな歌のけいこになっている。けいこでなしに歌、俳諧を利用してものを言う。別にさあ歌の稽古だと言う時はなく、歌で言ってやると言う気もなく、たださらさらと書いていて、つかえるとちょっときって歌にする、そう言う風に世の中がなっていました。」(p. 146-147) 現代のツイートみたいに、歌を詠むというのは、ごく日常的な仕草だった。
もちろん、これは相当に裕福で教養豊かだった日本人の回想であり、一般の労働者がこのようなことをしていたとは思えない。それでもなお、時間がゆっくりと流れていたこと、日本語の音韻というものが、普段の暮らしにまで染み渡っていたことが窺える。そうした日本はなくなってしまった。もう戻ってくることもないだろう。その意味で、この本は日本人がかつて持っていた時間感覚についての貴重な証言と言える。