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「道を聞かれる人になりなさい」


みなさんは、「理想の自分像」を持っているだろうか。





「道を聞かれる人になりなさい」


そんな言葉を、耳にしたことがある。


いつ、どこで聞いたか全く記憶にないのだが、この言葉はいつの間にか僕の心に「理想の自分像」として深く根付いていた。








◇◇◇






初めて訪れた土地でスマホが使えなくなったとして、みなさんはどんな人に道を聞こうと思うだろうか。


優しそうな人、服装がきっちりしている人、落ち着きを感じる人...。



人によってその基準は様々だろう。







いずれにせよ、道を聞く際には見ず知らずの他人を一瞬で判断しなければならない。


その判断基準は最終的に「雰囲気」に頼ることになるだろうと、僕は思っている。







人の雰囲気は、一朝一夕で変えられるものではない。


雰囲気は、その人の性格、思考、経験といった様々な要素が積み重なって形成される。


最も手軽に雰囲気を変えられそうな「ファッション」にしても、なぜかその人の雰囲気を完全に変えることはできない。


「服に着られる」という言葉まであるのだから、こう感じるのは僕だけではないはずだ。







結局、「道を聞かれる人になりなさい」という言葉を実現するためには、長い時間をかけて雰囲気を作り出すしか方法はないのだ。


僕が意識していたことを少し挙げると、

1,急がない
2,胸を張って歩く
3,周りをしっかり見る


このあたりだろうか。


この瞬間にもできることなので、ぜひやってみてほしい。



これらは、自分が最低限これができていないと道を聞かれることはないだろうな、と思った項目だ。







急いでいる人を呼び止めるはずがないし、下を見ている人にも声はかけづらい。



そしてなにより、スマホを注視している人に声をかけるのは僕にはなかなかできない。




当たり前のことのように聞こえるが、これを意識するようになってから、世界の見え方が変わった。








周囲をしっかり見て歩くと、道を聞けそうな雰囲気を纏う人が本当に少ないことに気づく。


そのたびに、なにか悲しい気持ちになる。



なんというか、すれ違った時の雰囲気に温かみを感じる人が減ってしまった気がする。







これはあまりにも主観的な話で、僕の感性が変わってしまっただけかもしれない。




これが正しい感覚なのかは知る由もないが、少なくとも僕は、温かい雰囲気を感じてもらえる人になりたいと思っている。



単純に、そんな自分が好きだから。







◇◇◇






自分を愛せなければ、他人を愛する余裕はない。


「道を聞かれる人になりなさい」になるという言葉も、それが自分にとって魅力的な人物像だったからこそ心に染み付いたのだ。


そして、それを毎日考えることで、いつのまにか自分の人格に影響を与えた。







僕は、自分が好きになれる自分になりたいから、「道を聞かれる人」を目指している。


まだまだ理想には遠いが、この理想に向かって走り続けている自分はすでに好きになれている。







誰でも、自分を愛していたいはずだ。


でも、実際に「自分が好きだ」と胸を張って言える人はそう多くない。







この原因には様々なものがあると思うが、そのひとつに「理想の自分像を見つけられていないこと」が挙げられると思う。


目標がないと、自分の現在地がわからない。


自分が何を目指しているのかもわからない。



そして、ぼんやりとした「スゴイ人」と自分を比べはじめてしまう。







理想や目標という自分を評価するための物差しを持っていないことが、自信のなさにつながり、自分を愛せなくなることもあるのだ。


「理想の自分像」を描くことが、自分を愛するための第一歩なのかもしれない。






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